【番外編】ある新人医局員との日常 ほか

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前回まで歯科界のことについてかなりまじめに発信してきました。今回は夏休みとして、あるいは箸休めとして日常の話題を選んでお話しいたします。60年以上生きて来て、こんなに暑い夏は初めてだとびっくりしています。もう何年かすると、皇居はジャングル化して象やライオンが住み着き、お堀にはフラミンゴが舞い降り、千葉沖にはサンゴ礁に熱帯魚が泳ぐ、わが国はそんな熱帯地方の1小国に落ちぶれているのではないかと想像を巡らせています。気温だけではありません。小国になってしまう要素は、日本人の心自体が変わってきたことも大きく原因するだろうと考えます。日常の若い医局員とのやり取りや、お盆休みの新聞やテレビのニュースから感じる違和感は、私が異常なのでしょうか、世の中が悪いのでしょうか、はたまた・・・・どうぞ私の話を聞いてください。

新人医局員のお願い(ありがたい、恩にきます、お世話になりましたは死語に)



先週、新人医局員が私の部屋に来て、「先生も講演される来週日曜日の○○学会のシンポジウムを聴講したいのですが、参加費が高いので無料で入場できるように何とかなりませんか?」とのことでした。これに対して一言も二言も言いたいことはあったのですが、新人ですし、勉強したいのだからと、ひとまず「無料参加が可能かを聞いておきます」とだけ伝えました。大学の医局というのは、日常的に様々な企業の講演会やセミナーの無料招待券が配られます。招待券がない場合でも、お願いすれば数名は無料で入れていただけることもよくあるのです。これに関しても「学問を身に付けるにはお金がかかるもの」と信じている私としては、あまり快く思っていませんが、今回の事件の要点はここではありませんので、省略してお話を続けます。
この会話の後、私は、学会大会長の教授をよく知っておりましたので、「新人医局員何名かを私のスライド係的役割でなんとか無料で入れていただけないか」とメールでお願いいたしました。数日後、大会長からOKの返事をいただきました。私は、新人医局員の喜ぶ顔が見たくて、すぐにそのメールをコピーして「大会長招待と告げればOKですよ」と伝えたところ、「あ、先生、その日はもう別の同窓会のハンズオンセミナーに申し込んでしまいました」と何も悪びれずに返答したのです。しまったという顔もしません。その返答にあきれて、開いた口がふさがりませんでした。何も気づかないのです。これは社会常識としておかしくないでしょうか。
無料でシンポジウムを聴きたいという希望に対して、善意の私と大会長の2名を動かし、私たちに何の連絡もなく別の予定を入れる。自分のために行動を起こしてくれたことに対して「ありがたい、お世話になりました、恩にきます」という気持ちは全くない。私と大会長の顔をつぶしたという自覚もない。最近、自分の利益のためだけに生きている若者が多すぎます。「ありがたい、この御恩は一生忘れません」という言葉は、すでに死語となってしまっています。私は、ここ20年間一切聞いたことがありません。皆様はいかがでしょうか?この新人医局員には「通常の社会人としての常識では、ありえない返答だね。自分が頼んでおきながら、まずいことをしてしまったという思いもない。ある?そうあるんだ。私だったら、まずい!と思った瞬間、ありがとうございます。ではありがたくシンポジウムに行かせていただきます。と教授に伝え、密かに申し込んでしまったセミナーをキャンセルするでしょう。」ここまで伝えても、この医局員が日曜日にどんな行動をとるのかはわかりません。期待はしておりません。このような期待は何度も裏切られていますから。

電気を止められた生活保護受給者が熱中症死、札幌市



7月31日付の電子版の毎日新聞や北海道新聞に記載されたニュースです。29日に札幌市で60代の女性の生活保護受給者が熱中症で死亡しました。女性は共同住宅に一人暮らしで、部屋にはクーラーや扇風機があったのですが、料金未払いのため電気は止められていたということでした。
この暑さの中、電力会社は、電気を止めたらどのような結末が待っているかを予測できなかったのでしょうか。いくら北海道とはいえ、この猛暑の中、クーラーも扇風機も冷蔵庫も使えない生活が考えられるでしょうか。ライフラインである電気を止めるということは何を意味するのでしょうか。そうです。死刑執行であり殺人事件ではないかと思います。料金未納だからしょうがない?電気料金を支払わないことと、人の命とどちらが大切なのでしょうか。日本国憲法には、すべての国民は生命、自由、幸福追求の権利が尊重されているはずです。電気を止めた張本人は、「会社の決まりだから行った。自分の責任ではない」と言うでしょう。市の福祉保健部は「まさか、この暑いさなか、ポストに通知書を投函しただけで、住人に無断で電気を止めるとは思わなかった」と言うでしょう。東日本大震災の時よく使われた「想定外」と言いたいのでしょう。何と都合のよい言葉でしょう。これが日本の社会の象徴的な姿だと思います。自分たちのせいではないという無責任さ、いい加減さ。枠の中で決められた仕事をしているだけで、電気を止める役割の人が、会社の決まりを破って人命を救ったとしても、だれも褒めてくれないでしょうし、理解を示さないでしょう。会社や組織は悲しいかな、善意にはほとんど反応しないものです。場合によっては会社から解雇されてしまうかもしれません。なぜ、これほど事柄の軽重がわからない社会になってしまったのでしょう。予測すること、責任を取ること、俯瞰図のように全体を見渡すことが苦手となってしまった日本人は、末恐ろしい社会をつくるような気がします。

富田林警察署から逃走した樋田淳也容疑者の弁護士は?



8月12日夜、大阪府警富田林署で拘留中の犯人が、弁護士と接見後、間仕切り用のアクリル板を壊して逃走した事件で、いまだに犯人は逃走中です。大阪府警のお粗末な対応が大きな問題でしょうが、私が注目したのはこの弁護士に対するメディアの対応です。接見が終了したのち犯人は逃走したわけですから、逃走前の犯人の最後の様子を知っているのはこの弁護士だけなのです。なぜこの弁護士にメディアは殺到しないのでしょうか。「犯人の様子はどうでしたか?」「警察官に終了を告げなかったのはなぜですか?」などレポーターが群がってマイクを向けている画像はでてきません。ボクシングの山根会長の時には、どうでもよいことを何週間にも渡って追い続けマイクを向けている事実と比較して、弁護士からは訴えられる可能性があるので無礼な取材は行わないのではないかとすら疑います。私から見て山根会長は、キャラの濃い時代錯誤の老人であるだけで、決して悪い人には見えませんでした。しかし、今度の犯人は人を傷つける可能性の高い人間なのです。どちらが国民にとって重要な情報かは一目瞭然です。今のメディアは、何か見えない力に操られ、もうすでに正しい判断ができなくなってしまっているのではないでしょうか。メディアの人たちは、「メディアは正義の味方で、常に弱い者の側に立っている。」と自己満足をしています。以前、NHKの取材を受けたとき、記者が「私たちのカメラとマイクの後ろには国民の目と耳があります。」と啖呵を切った時、私は「それは間違いでしょう。あなたたちの報道の後ろには、政治家の影しか見えません。」と反論したことがあります。メディアの力は計り知れないパワーがあります。これを正しい価値観や高いコンプライアンスで使用して行かなければ、国民を誤った方向に導きかねないと危惧しております。
さらにこの弁護士は、責任の一端は自分にもあるといった自責の念はないのでしょうか。積極的にメディアに出て、逮捕につながる多くの情報を集めることに専念したらどうでしょう。顔も名前も出さないでダンマリを決め込むこの弁護士の道義的責任と法律家としての正義はどこに行ってしまったのでしょうか。以前、東京地裁の裁判官たちのパーティーに呼ばれて伺ったことがあります。裁判官が20人以上出席している会など初めてだったので、以前から裁判官に聞いてみたいと思っていた疑問をぶつけてみました。「医者が間違った診断を下したり、手術でミスをした場合、免許の停止や取り消しが待っています。また同時にメディアがたくさん集まり、社会的な制裁も受けてしまいます。しかし、裁判官はどんなに冤罪をつくろうが何のお咎めもなし、メディアも個人的に取材はしないというのはなぜなのか?」と、若い裁判官から順に聴き回りました。ほとんどの裁判官は「分かりません」としか言いませんでした。最後に所長であるトップにお聞きしました。明確な回答が得られました。「それは、私たち裁判官は法律で守られているからです」誤った判決を出しても罪に問われないと決められているようです。つまり、裁判官は性善説なのです。彼らは悪いことは決してしない。だから冤罪で何十年も刑務所に入れられていた人に対して税金で償いをし、判決を下した裁判官は元来良い人なので、一生懸命やったのだから仕方がないからお咎めなしとなるのです。一方、私たち医療従事者は、もともと悪い人なのでしょうか、性悪説。一生懸命やっていないので誤診をし、手術ミスをするのでしょうか。そんなはずはありません。患者を治すために手術をしているのです。薬を出しているのです。
裁判官や弁護士は、選ばれし人間です。優秀で社会常識にたけた模範的な人間でしょう。ならば、普通の人よりもより高い道徳観が必要だと思います。そうですノブレス・オブリージュ(noblesse oblige:高い身分に伴う道徳的な義務)なのです。この弁護士が犯人逮捕に重要な役割を果たし、関西の住人を安心した生活に戻してあげることこそノブレス・オブリージュを全うすることだと信じます。期待しています。
矢島 安朝(やじま・やすとも)
  • 東京歯科大学水道橋病院 病院長

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