父のやさしさとそれに甘えた私

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松丸 悠一

父のやさしさとそれに甘えた私

父は、東京医科歯科大学を卒業後、茨城県北相馬郡守谷町(現在の守谷市)で開業し、他界するまでの34年間を地域歯科医療に従事した開業医である。

不思議なくらい父に歯科の話をしてもらった記憶がない。

私が子供の頃、両親は朝から夜遅くまで働いていて、待合室にはいつも患者さんが溢れていたのを思い出す。夕食は遅く、仕事が終わるまでは医院のスタッフさんに遊んでもらっていた。

高校3年の夏、私は進路を考えた。「モノづくりやデザインに関わる仕事や教師になりたい。父は歯科医師をしているから、歯科医師のライセンスを取ってしまえば両親や親族を安心させられるのでは……」 深く考えず、歯学部への進学を父に切り出した。「私立を希望であれば、現役合格ならなんとか行かせられる」それだけのやりとりだった。

その後、私は運の良く日本大学松戸歯学部に合格した。

大学を卒業して勤務医、大学院と過ごしたが、ハングリーさに欠けていて、2代目だからという甘えがあった。なにかというときは金銭的にも支えてもらっていた。

2011年、父が悪性腫瘍の診断をうける。闘病中に父の病室を訪れた時、いつもの父とは違っていて「医院はどうするんだ」と私に聞いた。それまでは歯科の話はもちろん、そんな話なんてしたことがなかった。私はいままでの生活を見直し、父の診療室を手伝う準備を進めた。   父が摘出手術から仕事に復帰した。私はすっかり父の診療室を手伝う心積だったが、回復するとともに父の口からその話はたち消えた。 父は酒とカラオケが好きで、私も仕事の話なしによく一緒に飲んだ。2012年、その中で少し交わした会話があった。「俺の診療室は俺がやる。おまえは自分らしく働いたら?」その言葉に後押しされて、私の総義歯治療専門歯科医師としての挑戦が始まった。 2014年、地元の歯科医師会に講師をさせていただいたとき、父は「売れっ子予備校講師みたいだな」と声をかけてくれたが、懇親会に参加することなく行きつけのスナックに行ってしまった。 2015年に再発と転移により父が亡くなった後、診療室に整理に向かうと、今にも父が働ける状態に診療室が整えられていて胸が熱くなった。 もう甘えられる背中はない。これからも父がいて私がいることに感謝を忘れず、最後に父と歯科について話した、私らしく生きることに胸を張って頑張っていきたい。

松丸 悠一(まつまる・ゆういち)
  • コンフォートデンタルクリニック

日本大学松戸歯学部卒業、日本大学大学院松戸歯学研究科修了。 コンフォートデンタルクリニック(北海道札幌市)および東京都内各所にて総義歯専門歯科医師として勤務。

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