第44回:増原英一先生のご逝去を悼んで

カテゴリー
記事提供

© Dentwave.com

9月18日、増原英一先生が今朝お亡くなりになられたとの連絡を受けた。歯科における接着技術の研究・開発とその普及に情熱を傾けられた増原英一先生に対し、深い敬意と哀悼の意を捧げますとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。この機会に、増原先生と1981年紫綬褒章を受章されたご業績の中心をなすMMA-TBBレジン(スーパーボンド)の足跡を辿り、このレジンについての理解を深めていただきたいと念じている。 増原英一先生は、1921年出雲市にお生まれになり、東京高等歯科医学校、次いで東京工業大学電気化学科を卒業され、東京医学歯学専門学校技官、東京医科歯科大学助教授を経て、1955〜1986年の間東京医科歯科大学教授を勤められた。1956年から2年間ドイツに留学され、まず、レジン充填の臨床研究をされていたゲッチンゲン大学歯科保存治療学担当のFischer教授のところで研究された。このFischer教授との出会いから、歯質とレジンの化学結合、すなわち接着という考えが生まれ、象牙質コラーゲンとの化学結合に照準を合わされたのであり、これがまさに現在の象牙質歯科接着のアイディアの原点となった。この狙いに沿って、アーヘン工業大学羊毛研究所、マインツ大学有機化学教室でコラーゲンの化学反応について研究されたが、残念ながら、有望な成果は得られなかった。 1958年帰国されるとただちに象牙質と化学的に結合する高分子材料の研究に着手された。さまざまな試みの中から、TBBを用いたMMA/PMMAレジンは乾燥した象牙棒(当時は象牙棒を歯の代用としていた)には接着しないが、湿潤した象牙には強く接着するという特異な現象を見出され、これに本格的に取り組まれることになった。このことは、1963年発行の歯科材料研究所報告に「歯科用即硬性レジンの研究(第3報)アルキルボロン触媒を用いたときの象牙および歯質への接着性」と題して報告されている。 1966年、デュッセルドルフ大学に移っていたFischer教授のもとにMMA-TBBレジンを持参し、イヌの歯での充填試験の結果、歯質に接着性があり、生活歯髄に対して刺激性が少ないことが確認された。そこでFischer教授は長期臨床試験に向けてKulzer社に試作品を依頼。その結果、世界初の接着性レジンが誕生することとなった。TBBをワセリンでペースト化したものをバルビツル酸系触媒と併用したMMA-PMMA/ガラス粉末からなるレジンが試作された。それを用いて3年間で500例を越す臨床試験が行われ、生活歯髄に対して保護作用のあることが確認され、1971年ついに接着性充填材「パラカーフ(Palakav)」として商品化された。この製品は我が国にも逆輸入され、歯質接着性のすぐれたレジンとして利用されていたが、その頃登場したBis-GMA系コンポジットレジンに押され、1974年Kulzer社は製造を中止した。実は、このパラカーフをその頃筆者も歯頸部に充填してもらったのであるが、それが30年以上も脱落することなく残存し、接着性のよさは身をもって体験している。(注) Kulzer社のパラカーフと時を同じくして、我が国では矯正のダイレクトボンディング用接着材として、MMA-TBBレジン「オルソマイト」が1971年に持田製薬から上市された。この最初の製品では、発火しやすいTBBをカプセルに封入したものをMMA入りの小瓶口部にセットし、使用時にカプセルを開けてMMAに添加する方式となっていた。その後、カプセル内のキャタリストは発火しにくいTBBO(本稿ではこれもTBBと記述)となり、さらにカプセルの代わりに現在のスーパーボンドと同様の気密性の高いシリンジが導入され、1974年「オルソマイトIIS」として上市された。持田製薬では1969年に別件で増原研究室に研究者を派遣しており、それが縁となってオルソマイトを手がけていたが、1982年オルソマイトの製造・販売権を三井石油化学社に譲渡した。その子会社であるサンメディカル社がMMA-TBBレジンを取り扱うこととなり、その最初の製品として4-META/ MMA-TBBレジン「オルソマイト スーパーボンド」が1982年上市された。さらに1983年には、10%クエン酸/3%塩化鉄溶液(10-3溶液、グリーン液)からなる象牙質処理材も組み込んだ多目的接着システム「スーパーボンドC&B」が上市され、四半世紀以上も当時とほとんど変わらぬ姿で今日に至り、接着性のすぐれたレジンとして広く利用されている。 このようにして生まれ、育ってきたMMA-TBBレジンであるが、スーパーボンドC&Bが登場して以降、4-METAのみが全面に出て、TBBの影はすっかり薄くなってしまっている。TBBに関し、増原先生はその重要性をほとんど主張されないままはるかに旅立ってしまわれたが、在りし日の内心をお察しすると寂しく、悲しい。ほとんどのユーザーは、“スーパーボンドがよいのは4-METAのおかげ”と思い、“TBBのおかげ”と理解している人は極めて稀であろう。しかし、安らかにお眠りいただくためにも、主役はTBBであることをユーザーはよく理解してほしいと思う。 そこで、詳しいことは別の機会に譲りたいと思うが、一言だけ説明しておきたい。要点は、TBBと象牙質に吸着された鉄イオンの協同効果により象牙質界面でMMAの硬化が先ず始まり、安定な樹脂含浸層ができることにある。これは4-METAがなくとも達成される。ついでながら、10-3溶液が導入された経緯に少し触れておこう。1979年、増原研究室の中林宣男助教授はDr. Bowenを訪問したが、その折にクエン酸と塩化鉄で象牙質を処理すると接着に効果があるからMMA-TBBレジンでも試してほしいとの依頼を受けた。これが契機となって10-3溶液が誕生、象牙質の接着に大きく寄与することとなった。この10-3溶液についての中林先生の説明によれば、この溶液で象牙質を処理すると、鉄イオンが象牙質コラーゲンに吸着され、クエン酸によるコラーゲンの変性や収縮が抑えられる。その結果、脱灰された象牙質の4-METAモノマーの浸透性がよく保たれ、樹脂含浸層の形成に有利に働くという。このように、この説明にはTBBはまったく登場しない。 筆者は1967年から15年間増原先生の下で助手として研究に従事させていただいたが、「デンタルのことはいいから、メディカルのことをやりなさい」といわれ、歯科のことは横目で眺めながら過ごしてきた。しかし、スーパーボンドはなぜほかの接着システムとくらべて優れているのかという思いがずっとあった。教授になって歯科関係の研究に係わる機会が生まれ、この疑問に取り組むチャンスが巡ってきた。その結果疑問は解けたのだが、キャタリストのTBBの威力のすごさ、その発火性で危険とも思われるTBBをモノにされた増原先生は本当にすごいということを改めて認識した。これには、持田製薬の貢献も大きかったことはいうまでもない。 (2009年9月27日) (注):このすぐれた接着性は、TBBに加え、併用したバルビツル酸系触媒に含まれる銅イオンの効果ではないかと推測している。スーパーボンドでも銅イオンは鉄イオンとまったく同様の効果を示すのである。
記事提供

© Dentwave.com

新着ピックアップ