東日本大震災が起きて3年が過ぎて様々な問題が露呈。マスコミでも課題を指摘する中、復興を目指して精力的に対応している彼我続く。特に医療面での現状は、震災関連死ほか新たな課題がクローズアップされている。被災県の一つである岩手県の歯科医師が自ら被災者でありながら、歯科医師としての使命、地域への思いなどを抱えて、今日まで過ごしてきた3年間の活動・生活を追っかけ紹介した書籍「泥だらけのカルテ」(柳原三佳著:講談社:1200円税別:2月27日発行)が、改めて注目されている。
現役の歯科医師・佐々木憲一郎氏がその人。1967年、岩手県釜石市生まれ。盛岡第一高校から、岩手医科大学歯学部に入学、歯科医師になって釜石市に戻り、2000年に、鵜住居(うのすまい)に"ささき歯科医院"を開業し、地域に根ざした歯科医療を展開した。東日本大震災で犠牲になった遺体と歯のカルテを見比べながら、異体を家族のもとに帰し続けている。この作業に駆り出したのは、妻が津波から守った「泥だらけのカルテ」だったという。歯科医師の信念と責務が地域住民への復興への活動を促した。そこに至る様々な葛藤・問題を乗り越え奮い立った記録でもある。「"あの日"のささき歯科医院」「歯のデータ」「DNAの限界」「死を認めたくない」「問題の"子どもの遺体"」「故郷のこれから」の構成からなっている。最後は「最後のひとりが家族のもとに返るまで・・・、この作業ガ終わることはないのです」とまとめている。
釜石市鵜住居地区は東日本大震災で約600人が死亡・行方不明になった。ささき歯科医院も自宅も津波で壊れたが、半年後にプレハブの建物で治療を始めた。しかしながら生活機能が停滞崩壊した町を離れることは考えなかったのと同時に、「治療の傍ら残されたカルテを役立てたいと」思った佐々木歯科医師。泥だらけの約4700枚のカルテを洗い、身元が分からない犠牲者の歯型と照合するなどした。これまでに患者だけでも50人以上を遺族のもとに帰すことができた。
著者の柳原氏は次のような文章も記している。「災害や事故で身元が歯型で分かる例が多々ある。群馬県の日航ジャンボ機墜落事故でもそうだった。この事故で父を失った兵庫県の歯科医師の兄弟が、現場で地元医師と一緒に作業をした話は近年本になった。兄弟は阪神大震災やJR福知山線脱線事故でも現場にいた、佐々木歯科医師は"人には皆帰るべき所"があるとの強い信念があり、"帰りを待つ遺族の所に帰してやりたい"とする思いがあるから、つらい作業にも耐えられる。兵庫の兄弟も岩手の佐々木さんも、同様の務めに携わる各県の警察歯科医会の歯科医師たちも思いは同じ、佐々木さんの診療所は天井近くまで津波をかぶった。カルテは流失を免れた。避難する前、佐々木さんの妻(看護師)のとっさの判断で、カルテが詰まった大きな棚の扉に粘着テープを貼った。何かの意思が働いたのだろうか」。
柳原氏は今までにも「家族のもとへ、あなたを帰す―東日本大震災犠牲者約19,000名、歯科医師たちの身元究明」(WAVE出版)を著わし、死者の人権を守るため「歯による身元確認」に賭けた歯科医師たちの証言から明かされる衝撃の現実を紹介。内容は以下のとおり。
第1章:遺体の「歯」が語るもの―歯科法医学者・斉藤久子の証言
第2章:凍りついた口を開いて―岩手県警察歯科委員・菊月圭吾、熊谷哲也の証言
第3章:泥まみれのカルテ―釜石市ささき歯科医院院長・佐々木憲一郎の証言
第4章:名前を取り戻した遺体―岩手県警察歯科委員・狩野敦史の証言
第5章:"原発下"という戦場で―福島県歯科医師会・工藤祐光、千葉県警察歯科医会・大森基夫の証言
第6章:遠く離れた場所で闘うものたち
第7章:「使命」と「責任」の原点
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