第3回 義歯と保険改定
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Tさんの入れ歯は、裏山から発見されました。Tさんが亡くなられたのは夏の暑い日。入れ歯が発見されたのはそれから数ヵ月後の、秋のことでした。 Tさんの異変にご家族が気づいたのは、さかのぼる事約1年。同じ敷地内にある別の家に住んでいたTさんとご家族は、もともと食事は別。なにしろTさんは朝食も夕食も5時。元気な80代の女性でした。それでもお散歩や庭仕事に出てくるTさんがずっと入れ歯を入れていないことに家族が気づくのに、そう時間はかかりませんでした。 歯医者さんに行こう。と言う家族の言葉に、Tさんがうなずくことはありませんでした。一番近い歯医者さんまで車で30分。Tさんは車が大嫌い。もう何十年も、乗ったことがありませんでした。食べられるから、と言うTさんの言葉を疑ったご家族は、もちろん食事を見に行きました。そこで、大好きなお刺身やお漬物を、美味しそうに食べているTさんを目の当たりにして、何も言わなくなりました。 しかしそれから間もなくして、Tさんの言動に少しずつ変化が出てきたのです。毎日会う孫の年齢を間違える。息子の名前を忘れる。何人分もの食事の支度をする。泊まりに来る予定のない親戚の布団を用意する。Tさんの認知症は急速に進行していきました。 足腰の丈夫だったTさんですが、家の中や周囲で行方不明になることはあっても、家から離れることはありませんでした。そして家族の名前を忘れても、自分で食べる食事は自分で用意していました。“お客様”の分も常に用意して。夏の暑い日、最期に冷たいアイスクリームを食べ、Tさんは永眠しました。 そんなTさんは、私の曾祖母です。入れ歯をなくしてからの曾祖母の変わり様に、高校生だった私は歯科衛生士へのきっかけを与えられました。何ができるかわからないまま、私は歯科衛生士の道を歩み始めました。 Sさんは、義歯を使わない方でした。食事をする時には義歯を外し、外出する時に義歯を入れます。Sさんは、昔気質の頑固で厳しい、おしゃれな男性でした。地位の高いお仕事をされていたSさんは、人前で話したり人を叱咤したりする時に、義歯が落ちてしまうことを気にされて、何度も歯科医院に足を運びました。そしてやっと落ちない義歯が完成したのですが、それでも食べる時には義歯を外したほうが、具合が良かったようです。落ちないけれど噛めない、無い方が何でも食べられる、とSさんはこぼしていました。 そんなSさんは、私の祖父です。今月の頭に亡くなりました。昨年癌を宣告され、自宅療養を続けていました。食べる事が好きな人でしたから、お酒を我慢する分、好きなものを食べ、お医者様から宣告された余命より、ほんの数ヶ月、長生きしました。私が思い出す祖父の笑顔は、上顎の前歯3本が欠けています。厳格な祖父でしたが、記憶に残るのは笑顔の優しい人でした。亡くなった時、沢山の方に見送られるからと、義歯をはめました。冷たく硬くなっていく口腔内に触れながら、もっと何かできたのでは、と後悔の気持ちが押し寄せてきました。歯科衛生士になって7年目。初心を思い出し、私にできること、を模索中です。 4月、いろんな事がありました。企画・運営に携わった歯科衛生士シンポジウム。祖父の死。保険点数改定。患者さんとの関係にも変化が訪れました。保険→自費へと移行する中での、さまざまな患者さんからの言葉が印象的です。変化を告げる中で、思いのほか患者さん方が様々な本音を語って下さいます。いくらになっても来るから、とおっしゃって下さる方。その分ホームケアを頑張るから、と本来の目的に気づかれる方。値下げ交渉をされる方。いつもとって帰られたご予約を電話するから、と早々に立ち去る方。こちらが予想していたその方の意識と異なる本音もちらほら。 今回の改定が無かったら、聞けなかったような言葉を沢山いただきました。正直、改定には不満も不安もありますが、今の私にできること、これからの私にできることを考え、目の前の患者さん方を大切に、毎日の診療を大切に、これからも頑張りたいと思います。曾祖母や祖父が、私に考えさせてくれたことを大切に、患者さんの口腔内を通し、その方の健康に貢献できる歯科衛生士目指して、邁進していきます。
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