第4回 寝たきり蘇り作戦(特養編)

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  たとえボケても、みんなに愛され尊厳は保たれて老いて行き、徐々に全身の機能は終了に近づき眠るようにあの世にいけたら幸せだなあ。と、もし、自分が認知症になったときのことを思う。 「寝たきりと痴呆と もし、どちらかを選ばないといけないとすると どっちがいい?」もう、10年近く前になるがこう、講演会で聴衆に聞いた某老人介護の達人がいらした。聴衆に挙手をさせると 『痴呆』のほうを選んだ人の方が『寝たきり』を上回った。 寝たきりは本人がしんどそうだけど、痴呆は周囲の人は大変だろうけど本人は何も分らなくて楽ではないのか?という認識だったと思う。できたらどっちにもなりたくない。殆どの人はそう考えているに違いなく、又、できれば介護をうけるにしてもできるだけそれが短く済むようなPPK(ピンピン元気で過ごしていて死ぬ時はころっと)を目指したいはずなのだ。   今年5月、若年性アルツハイマーを描いた美男俳優主演の映画が注目を集めている。この映画に描かれている現実・働き盛りの50そこらでボケてゆく自分を認めないといけない現実ってどんなにつらいものだろうか?だからといって70だからボケを受け入れる事が出来るとか尊厳を失っても平気なわけではない。 なんでここにこうして自分がいるのか?今食べた食事のこともすぐ忘れる自分が浮き草のように不安定でいたたまれないのではないだろうか?ぼけたら何も分らなくて楽というのはとんでもない誤りで不安に押し流されながらも必死に今を生きているのである。ここ特養で生活されている老人もまさに瞬間を生きる痴呆老人なのである。   1998年。この特養に出入りすることを許されて数人の入居者の口腔ケア担当になった。その中に2ヶ月前に病院から、つなぎ(抑制着)を着せられ寝かせきりで入ってこられた82歳の女性Mさんがいらした。ほとんど骨と皮にやせ細り(体重は27キロ)、皮膚は赤みもなく褐色、無歯顎で義歯は装着していない顔は眼も開けず(白内障で全盲)くしゃくしゃの皺の中にパーツがあるような感じだ。 入所時のカルテには老人性痴呆により嚥下困難・独語あり、呼名に対し返答なし・コミュニケーションは全くとれないとのこと。既往歴には右大腿部骨折とある。(これがきっかけで寝たきり・痴呆へと進んだかもしれない)両膝の関節は屈曲したまま。 後頭部は乳児のようにそこだけ丸くはげている。褥創の痕なのか寝かせきりの後遺症なのか? ここの特養の職員さん達は、この「はげ」を治そうという目標を立てられた。 起きられるのに寝かせきりにし頭をベッドにこすりつけてはげを作ったのだから起きて貰い、普通に座って生活をすれば、はげは治るはずだ。 認知症で眼が不自由で歩けないと言う理由によって自分で脱げない抑制着にオムツを付けられ、鼻腔チューブやシリンジに流動食を入れて口から注入という食事。 医療を受けていたにもかかわらず、朽ちかけた枯れ木のようなこの老人が「当たり前の生活を目指そう」と言うコンセプトの介護で蘇る現場を見た。介護現場では実はよくあることであった。 会ってみると、まず、寝たきりではなくちゃんと座れているではないか。(9割は寝たきりと言われても座れるらしい)口には大きな特徴があった。 小さな顔の中で異様に動いている大きな舌が見える。オーラルディスキネジア(OD)という舌が不随意に動いてしまう状態で、これは疾患である。高齢者では時々見かける。しかし、この人の場合非常にダイナミックでひっきりなしに舌が動いていて上口唇をなめまくっている。((注)ODについては紙面の都合上 解説は省く。) 寝かせきり時間が長かったので頚部の筋力が落ち首をしゃんと立てられないので、がくんと前に倒れこんでいる。時々持ち上げると同時に大きな舌が皺の中から現われては上口唇をべろりとやってはひっこむを繰り返すのでどのタイミングで食物を口に入れるといいのか食介助をするのか難しい。はじめはタイミングが合わず口からこぼれてしまいなかなか摂り込んで貰えない。 経口摂取だけで体がもつのだろうか不安がよぎった。食事を殆ど受け付けない時期に口腔ケアをして欲しいと言う依頼が来たが実際に何をすれば食べられるようになるのか自分でも確信がもてない。しかし、食べられるようになって欲しい。一途な思いで無歯顎の口腔内にスポンジブラシとウルトラソフト歯ブラシで保清を計り、唾液がよく出るようにマッサージをしてみた。 歯ブラシなどの刺激で感覚を賦活し脳へも刺激となって欲しい。声をかけても一方通行。手で払いのけようとされるのを少し抑制しながら祈るような気持ちで口腔ケアを続け、職員さんにも指導した。食介助の時にも時々付添い、食物を口に放り込むのではなく本人の口唇で自ら摂ってもらうように話した。 職員さん達は何が食べられるかあらゆるものを試してゆく。その中で好物が分ってくる。今日はたまご豆腐を少し食べられた。ミックスジュースをいくら飲んだ。マグロが食べられた。今日はアンパンを美味しそうに食べた。 記録にはつぶさに書かれている。熱が出たりするとひやひやしたが、そのうち食事の量も種類も増えていった。歯がないので少し小さく切って貰った食事にして全量平らげるまで数ヶ月。嚥下に問題は無く元々食べる力があったのだ。気がつくと黒い「うぶげ」が「はげ」を覆いはじめていた。 どうせ一方通行で話しかけても返事も無いなと思いながら「ねぇ、Mさん。はいって返事してみてよね」と言ってみたら「ハイ!」と。びっくりするやら感激するやらで思わずMさんに抱きついてしまった。私たちとの関わりは一方通行ではなった。 小柄なMさんを抱きかかえて女性の職員さんが入浴したおりには鼻歌で草津節を歌うし、蒲団をめくると「寒いからやめて」としっかり言葉が出てきた。ほどなく黒い髪が後頭部のはげを覆い尽くしていった。これは、どうしたものか?   口腔ケアで食べられるようになったとはおこがましくも言わない。ただ、介護職員さん達と一緒にかかわり、元来持っていた生命力を引き出したのではないかと思う。 何が彼女を蘇らせたのか?「慈しみ」だと思う。安心してケアされる環境で周囲の人の優しさ・慈しみを感じ、ここでこうして生きていていいんだと感じたのだと思う。 脳梗塞などの後遺症では3割ぐらいは嚥下障害がひどくて経口摂取が本当に無理なケースがあるが、高齢になったから口から食べられなくなるのではない。私たちは医療と言うワザで人に役立てたと感じるときもあるが錯覚の時も多いし逆に苦しめていることもある。 ワザより前に相手の心に届くケアであることが本質的に大切なことではないか?入居当初、彼女は不安で不安で恐ろしくて眼をぎゅっとつむり、身体を小さくまるめてこわばっていたようだった。 今でも眼は見えないし、移動も出来はしないけど眼は大きく見開き皺の少ないおおらかな表情で手を伸ばして空を掴んだり独り言を言ったりしながら今日もみずみずしく今を生きておられる。 27キロだった体重は40キロを越え、90歳になろうとしている。

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