第2回 訪問衛生士が見た現場と現実 その2

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 ここで、訪問口腔衛生指導とは どういう目的と意義があるのかちょっとだけ触れることにする。  在宅で療養中の高齢者(障害者も含む)に対し口腔衛生指導などを行いその対象者の自立支援に貢献するというもの。そして、QOLの向上を図るというもの。基本はこうである。もちろん、既に自立が不可能といえるケースもある。  また、対象者だけでなく介護者・訪問看護師やヘルパーさんに指導を行うことが必要である。私たちはダ○キンのように掃除屋さんではないから、それぞれのケースを観察した上で適切な管理を続けてゆける(ターミナルまで)ように伝える事が大事なのである。  数百のケースに関わったが、ケースの数だけ生活がありそれを背景とした口腔の状態が観察される。効果をあげて喜ばれることもあれば、行くだけで心身ともに疲れ果てるケースも少なくなかった。でも、慣れとともに問題のあるケースを楽しむ余裕や単に口だけ見ているのではないという面白さが分ってくる。  さて、今回も印象的なエピソードを用意させてもらった。  

 こうして寝たきりになるんか〜

 80才代後半のおかあさんを50才代の娘さんが 介護されていた。  かくしゃくとして80才代まできたけれど、入れ歯が合わなくなったことから寝たきりになったと娘さんがおっしゃる。80代にもなれば、下顎の顎提もやせてしまって入れ歯ががたついて 咀嚼困難になるのはよくあること。散々見てきたことである。  では、あきらめて入れ歯を外して食べられるものを召し上がったらということになりそうだが、このおばあさんも娘さんも簡単にあきらめずになんとか入れ歯を入れて食べられないか頑張ってみたそうな。  入れ歯安定剤類。  それでも、だめだからあちこち歯科医院も訪れた。老いているので近場しか行けないがそれでも、努力はしたわけである。 もちろん訪問診療の先生にも頼んでみた。  結果、やはり痛くて噛めない。それが、つらくて食欲がなくなり、どんどん 体力が落ちてきた。元々、予備力のないお年寄りはそれで、元気はなくなる。あきらめて入れ歯を外して立ち上がった時にふらついて(くいしばれないので、バランスもくずしやすい)転んでしまった。  結果、当たり前のように骨折。動けないわけだから益々筋力もなくなり 寝たきりになった。(一日使わないと筋肉は3%ぐらい落ちてゆく)あんなに、しっかりしていたのに、ボケ症状もでてきた。  娘さんは私におっしゃる。 「こうなったんは、歯のことからやと私は母をずっと看て来てわかる。あんたら、わかってるのに、どうもしてくれへんやんか! せめて、このことを、伝えていってほしい。」  この当たり前のような「合わない入れ歯は寝たきりへまっしぐら」のエピソードは、 わたしにとって介護者に罵倒されるつらい体験で深くこころに沈んでいる。しかし、だからこそ歯があって噛めることの重要性を伝えてゆけるのだ。歯周病で一気に数本抜歯した後、寝たきりや認知症(痴呆)やアルツハイマーを発症したと言うケースも多い。  

 ねえちゃん耳くそ取ってんか

 人ひとりが やっと通れるだけの路地の細い通路を、訪問かばん抱えていくと、90になる枯れ木のようなじいさまがひとり住んでいた。「何しにきたんや?」と言って、こちらが説明しても分かろうとしてないような 顔つき。これは、仕事させてもらえるんやろか?と危惧したとおり、 何十年と気ままに男のひとり暮しをしてきたところであって、 歯ブラシは生活の中に存在しない。  4畳半かそこらのスペースに生活に必要なものすべてが収まっており、布団の枕元の手の届くところにあらゆる身の回り品が雑然とならび、寝たままで頭の上にぶら下がった紐を手に絡ませ、体を支えて起きられるようになっている。扇風機も電灯も枕元から、別の紐を引っ張ればスイッチオンと言うわけである。「ほお、なかなか、うまく出来てますねえ。」と感心したら、快適な?生活をいきいきと語ってくれた。機嫌もよくなって、私の話を聞いてもらえるだろうか?  「実は、今日は歯を見せて頂きたくて寄せてもらったんですが。」「ん?歯?何やそんなこと言っとったなあ。」ようやっと、見せてくれた口腔内は、数本の残存歯と残根に、全く歯ブラシを使っていないのでしっかりと落ち着いて付着しているプラークとその影に見え隠れする歯石の宝庫。いつのまにか歯が抜け落ちてもそれも自然と受け止めている。  しかし、この口で何十年も食事をし、93になるまで人の世話にならないで来たのだ。本人は、何も不都合を唱えていない。歯科従事者として、つい、なんとかしてはどうかと生活習慣の変容を強いてみたくなるが、結局、この人の生活にとって、何が必要かは、本人が決めることなのである。  歯ブラシを取り出して、少しさっぱりしてみましょう。と言う私に、 「あんた、ほんまに歯のことばっかり言うなあ。」と、しかし、小さな目の奥で優しく笑っている。  ちょっとだけブラッシングさせてくれて、やれやれと思いきや、今度は、 「ねえちゃん、歯磨きなんかより、耳くそとってんか。」 「ええっ!」とりあえず、大きなその耳を覗いて見ると、ほんとに詰まっているではないか!「これ、使うて。」ちゃぶ台の上の鉛筆立てになんと、どでかい釘が!「堪忍してください。 もし、傷をつけたらいけないから耳かきを使ってね。」と言って、この件は訪問指導員(看護師)さんにお願いしておくことにしてそのじいさまのうちを出た。  それぞれの生活の中で、自由にその人らしく老いていく。 誰に気兼ねするわけでもないそのおおらかさにうちのめされる。高齢者は誰でも長年の生活習慣を持っていて簡単に変えられないと言うのが普通である。また、在宅訪問すると「患者さん」ではなく「主体となる生活者」であり、この本人に決定権がある。「はいはい」 と言う調子の良い返事は理解しているのではなく面倒だから、あるいは早く帰ってもらいたいが為の方策であったりする。  どうすれば、本当に喜んでいただける訪問活動と口腔ケアやその指導ができるのだろうとずっと模索していたことがそのまま自分にとって勉強であり、様々な人とかかわる経験と言う財産を頂いたと思える。  人生の大先輩である高齢者やその家族の方に年に一度(基本的には)会う約束をして最高の笑顔で訪問させて頂く。  そしてこの七夕衛生士は 長く使ってきたお口を労わり、その人の幸せに繋がることはなんであろうと想像しながらその人にもっとあった口腔ケアをクリエイト(創造)する。「お口をきれいにして歯医者さんに入れ歯を入れてもらい 春にはお弁当を持って花見に行けるようにしようね!」  口は美味しいものを食べ 自分の言葉を話せるという 幸いの元となりますように。  ←歯科関係者は口ばかり大きく見えてしまう  全人的に関わり 「プラーク衛生士」(プラークしか見てない衛生士)と言われないようにしないといけない。  *「なるほど ザ 保健指導」岡崎好秀先生著 より 引用   つづく・・・

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