第7回 あわや!クモ膜下出血…(その2 オペを受けて命拾いの巻)

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 覚悟も決まり無事手術を受けて回復を目指すと言う目標が自分の優先課題になった。入院までの数週間はそういう意味では精神的には安定した日々だと思っていた。が、自分が死ぬ夢や高いところから落っこちる夢を続けて3回ほど見た。夜中に目が醒めて夢の内容を思い出し身の毛がよだってしまうこともあった。 深層心理には不安があったんだろう。しかし、今まで出来なかった家の中を丁寧に掃除し、資産管理の整理、残して亡くなるとややこしいもの(?)の整理など準備万端して送った入院生活は結果的には楽しくて貴重な人生経験のひとつだと思える。迫る仕事のストレスはないものだから緊張性頭痛もなおり、特別疲れるようなこともしていないので「元気」なのだから。たまたま過労から未破裂脳動脈瘤がみつかったから処置をするというわけ。ただ、自分が入院するとなると家事を全くしたことのない夫や息子の食事や家の管理はどうなるのだろう。

 仕事の方は10年来同じフリーの歯科衛生士として私を育ててくれた先輩衛生士が予定していた教室や特養への訪問ケアをすべて引きうけてくれたので安心である。しかし家事について考えると看護大学生の娘は最近別居したばかり。自己実現欲は私の倍ほどあり、ナースになる勉強・オーケストラ部の活動・バイト・ワンゲル部の世話役までしている。超多忙でとても手伝う気がない。 当時高校2年の息子はといえば幸い受験はもう少し先だが勉強とサッカー以外に君の人生はないのかと思える人でどんなに頼んでも家事の協力は無理だと観念。私たち夫婦の両親も高齢であり、世話をかけたくないと思い、夫の覚悟も出来ていたので夫に家事の全権委任した。夫は結婚後23年で始めて厨房に立ち私に教わって料理を3つ覚えた。野菜炒め、それをスープにしたらできる野菜スープ。そして豚のしょうが焼き。朝に強い人だったので早起きして洗濯をして会社に出、帰りに病院に寄り私を見舞い、帰宅後夕飯を作ったりお惣菜を買ったりして息子とふたり、私のいない3週間をしのいだようだ。

写真1

    入院した自分はどうかといえば、不安が全くないとは言えないが、もとより好奇心の方が先立って医療 現場の最中に存在していることにうきうきしている自分がいる。取材現場にいる記者のようにドクターやナースの言動に興味を持ちメモを取り日記をつけ、差し支えない範囲でデジカメ片手にウロウロして後でアルバムやプレゼンが作れるほどきちんと撮影もした。その商魂?のお陰で 数ヵ月後パワーポイントで体験談を紹介したこともある。

 入院初日オリエンテーリング。クリティカルパスの説明。全身状態を色々と検査し、手術承諾書にサイン。麻酔科の先生からの説明まで入院から1週間。いよいよ 頭を開けて脳をいじる手術が10月27日。ドクターに何処の骨をどのように開けてどうやって患部に至るのか聞いてみたくてしょうがない。脳のイラストや模型で説明してもらう。(写真1参照)頭の皮を生え際にそって顔面中央の直ぐ上1センチぐらいの所から右耳の少し上部まで約18センチ切開(後に巻尺で計ってみた・切開の跡:写真3参照)したあと、楕円形に頭骸骨をくりぬいて脳の外科手術をするのだと。 よく脳に傷が付かないものだ。当日は7時輸液の点滴8時半夫が来てくれる・9時前ベッドごとオペ室へ移動オペスタート4時ごろ終了。ICUではなく、個室へ通された。モニター・点滴・導尿管がつながっていて酸素吸入器をつけ頭は包帯と三角巾で膨大な大きさになっている。(写真2)さて、思い出してみよう。

写真2

オペ室までの短いストレッチャーのツアーは外国へ始めていってその地に降り立った時のようにどきどき初体験気分。オペ室は13もあって何処までつれていかれるのだろうとキョロキョロしていたら私は12室へ。中は凄く広くてびっくり。スタッフが数人オペ着を来てなんとなくにこやかに迎えてくれている。冷たい感じがしないので嬉しかった。好奇心がはじけそうな顔してキョロキョロしていた私に若いドクターが「麻酔していいですか」・・・はい・・・・口の上に何かが被さったかとおもうと2秒ほどで意識はなくなった。そこから6時間後執刀医に「久保さん!終りましたよ」と声をかけられるまで全く何も覚えていない。 それどころか、は?今なんて仰った?終ったって?嘘でしょ。だって、まだオペ室に入ったところでは?・・・ええっ?父がいる。主人がいるではないか?うっすら周囲の人の顔が見えたそこは自分の個室であり、ちゃんと戻ってきているのだった。夢みたい。私の感覚ではオペ室にはいって2・3分しか経っていないような感覚だったのだ。「下の名前は?」「かずよ」。「年は?」「48」「大丈夫ですね」。そのまま、また意識が遠のいて寝てしまった。 翌朝、口腔乾燥の苦しさと吐き気で目が覚めた。口腔内と咽頭部分はパリパリ。気管に通していたプラステックの管があたった粘膜部分が痛い。オペの翌日は数時間胃液を嘔吐し続けた。しまいに吐く物がないので空気を吐いていた。翌翌日顔面は腫れが出て右目は開ける事が出来ない。微熱が3日ほど続く。

写真3

    術部からの出血の痕(皮下血腫)が顔面の皮下を打ち身の痕のように紫 青 橙 黄と変化しながら降りて行く。退院までに顎まで達し消えていった。側頭筋と咬筋を切断しているので強く咬むと痛むし口が大きく開かない。(1指半)食べる時の一口量は加減できるがあくびは容赦がない。痛くて痛くてできない。 あくびをかみ殺すのは講義の時だけだったのに。(普通の開口ができるまでのに数ヶ月かかる) 私のオペシーンに話を戻す。実は患者のオペは全部VTRに撮り残しているという。(うちに持って帰りよく見たいのでCDに焼いてと言ったのは私だけらしいが。)

 私の脳動脈瘤は造影剤を使っての3DCTで 瘤の形から血管カテーテル法ではなくクリッピング法が適していると判断してもらい開頭術に決定したのだった。VTRを再現すると・・・骨を外して硬膜をカットしていたらいきなり出血・・・硬膜のウラに脳腫瘍(髄膜腫)がひとつ潜んでいた。もちろん、術野にあったのでついでに除去してもらった。 そのあと、クモ膜はなぜかボール紙のように硬くて(個体差らしい) 執刀医をまたてこずらせた。そして脳の隙間を進んで患部に行こうとすると進路を静脈が邪魔している。うまくかわして患部近くに行くとまた脳腫瘍が一個出てきて焼き切る。いよいよ、見えてきた患部の脳動脈瘤はわずか4ミリとはいえ ミッキーマウスの耳のように二股にわかれそのうち一個はぷりっと赤く膨れ皮が薄くなりいかにも破裂しそうな顔している!それにしっかりとクリップをかける。 うわぁ〜危なかったぁ。5ミリ以下なら経過観察のケースになることもあるらしいけど大きさだけでは判断できないのがこれらしい。この動脈瘤のうしろには大事な血管が走っていて「間違って一緒にクリップかけてしまうと・・ぼく一生うらまれる。半身不随になるんです。」執刀医は淡々と説明して下さる。はぁ〜、本当に間に合ってよかった。退院時にこのVTRを始めて見て説明受けたときには何度も主人と顔を見あわせて「 良かったね。生かされたんだよね。」と。涙ぐみそうになる。そう、私は生かされたらしい。自分ひとりの身体ではない。大事にしてみんなにこの喜びと経験を生かして還元しないといけない。そう決心して退院した。

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