奇跡の出会い

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奇跡の出会い

本日よりこのコラムの連載を始めさせていただきます東京歯科大学の矢島でございます。何卒よろしくお願い申し上げます。
さて、新春第1回目の話題は、奇跡的な出会いをテーマにお話したいと思います。
2年ほど前、母校同窓会本部の研修旅行で猪苗代湖畔の野口英世記念館を訪れたときのことでした。私は一人、バスの集合時刻を間違えてしまい、他の人たちより30分も早く記念館を出てしまいました。ちょうど小腹がすいていたので、駐車場のすぐ脇の食堂兼お土産屋さんの店頭で、焼き団子を買ったその時のことです。
「まあお茶でも飲んで行きなさい。」
と店主のおじいさんとおばあさんに誘われ、半ば強引に広い食堂ホールへ引っ張り込まれました。案の定、客は私一人でした。時間を持て余した老夫婦は、いつもこうやって客にお茶をふるまうのだろうと地方の疲弊を目の当たりにして気分は少々沈んでいったのですが、おじいさんはそのような私の思いには気付くそぶりもなく、矢継ぎ早に質問をし始めました。
「どこから来たの?」 
「東京です」と答えると、
「東京のどこ?」
そこまで普通聞くかなと思いながら、「水道橋です」とまた答えました。すると、
「(水道橋に)東京歯科大学ってあるのを知ってる?」
「一度千葉に本拠地を移したんだけど、知ってる?」
「また水道橋に(東京歯科大学が)千葉から戻ってきたのを知ってる?」
「はい知っています」と言いながら、私の母校のことをよく知っているな、と驚きました。
「あの大学の創設者最初の学長だった血脇守之助先生は大変立派な素晴らしい人で、彼がいなかったら、野口英世は世に出ることはできなかったんだよ。」
「野口自身も一番の恩人は、血脇先生だと思っていたはずだ。」
「120年以上の歴史を誇っている大学で、血脇先生の精神を受けついている卒業生はいっぱいいるよ。野口の親友だった石塚三郎議員も、細菌学で有名な高添名誉教授もそうだ。」
血脇先生が10代の野口を見出し、東京で面倒をみたことや本校の名誉教授の名前まで知っている。なぜ?この人はいったい誰なのでしょうか。
「アンタも近くに勤めているのだったら、あそこの病院で診てもらったらいいよ。絶対に良い病院だから。」
びっくりしている間抜けな私の顔を横目に、おじいさんの話は朗々と続きます。この人はただ者ではない、なぜこんなに東京歯科大学のことを知っているのでしょうか。意を決した私は、ついに、
「私は今その東京歯科大学で働いている者です。お褒めをいただいてありがとうございます。でも、なぜそんなにすべてをご存じなのですか。あなたはいったい誰ですか?何者ですか?」
と問いただしました。そう振られたおじいさんは、急に気まずそうな顔になって、何も言わずに急いで奥の調理場の方へ消えてしまいました。代りに、私の隣で大笑いしていたおばあさんが質問に答えてくれました。
「野口英世は3人兄弟の真ん中で、野口家を継いだのは長女のイヌさん。イヌさんには4人の男の子と末の女の子の雪さんがいたのだけど、あの人(おじいさんを指さして)はその雪さんの息子なのよ。」
つまり、私はこれまでの30分間、団子を食べ、お茶をご馳走になりながら、本学に縁ある野口英世の子孫から話を聞いていたのです。その後も、おじいさんとおばあさんの二人で、当事者しか知らない大変興味深い話をたくさん聞かせてくれました。のちに記念館学術員から、おじいさんとおばあさんが自ら野口の子孫であることを明かすのは、今回が初めてだと思う、と教えられました。
「集合時間を間違え、ふと団子を食べたくなっただけなのに、その団子が取り持ってくれた過去の出来事との邂逅は、まるで奇跡としか思えませんでした。本学と関係の深い野口英世の子孫と話しができたことは、何かの巡り合わせとしか考えられません。まさに東京歯科大学に30年以上勤務する私にとっては奇跡と言うべき出会いだったのです。
この奇跡は先人の善行がもたらした遺産をも教えてくれました。東京から遠く離れた猪苗代湖のほとりで、祖先を通じて本学の存在を憶えていてくれた人がいて、しかもこんなにも私の母校を誉めてくださったのです。感動を覚えるとともに、100年近く前の出来事によって、本学の隠れ大ファンとなり、遠くから私たちを応援してくれている人がいるのだと知って、身の引き締まる思いがしました。
きっと皆さまの診療室にも、このような穏やかで静かな大ファンがいるのではないでしょうか。人知れず好意を持って見守ってくれている人々がいると思うのです。先のおじいさんのように、何らかの出会いがきっかけとなって、先生の診療技術やスタッフの対応等を知り、そして記憶にとどめ、思わぬ時を経て思いもかけない場所で、先生の診療室を褒めちぎって他の人々に来院を勧めてくれている人たちがいるはずです。恐らくは私たちを見守り続けてくれている隠れファンの人たちには、私たちの一挙手一動のすべてが見えているのだろうと思います。
私は、このような人知れず応援してくれている人々に対して、恥ずかしくない日々を送っているのだろうか、今後100年以上経ってもまだ応援し続けてくれるような診療室や大学でいられるのだろうかと考えてながら、決意も新たに2018年を迎えています。
写真説明:
15年ぶりに帰朝し、東京歯科医学専門学校(現:東京歯科大学)卒業式に列席した野口英世博士
高山紀斎(東京歯科医学専門学校創設者)像の前で恩師の血脇守之助(初代学長)先生と一緒に記念撮影
(大正4年10月17日:神田三崎町)
矢島 安朝(やじま・やすとも)
  • 東京歯科大学水道橋病院 病院長

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