日航機墜落で命落とした歯科医の祖父想い 歯科3代の志

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御巣鷹に誓う 歯科3代の志

読売新聞 2013年8月10日

 

開業の祖父犠牲 父が検視 警察協力の姿 胸打たれ

歯科医師の勉強に使うノートを手にする河原さん(6日、岐阜県瑞穂市で)

520人が犠牲になった日航ジャンボ機墜落事故から12日で28年。岐阜県瑞穂市の朝日大歯学部6年河原伸明さん(24)は、歯科医の祖父を事故で亡くし、歯科医院を継いだ父と同じ警察歯科医を目指して勉強中だ。

遺体の身元確認に協力してきた父の姿に胸を打たれ、進路を決めた。

河原さんは「来年の慰霊登山は、歯科医師として墓標に誓いを立てたい」と話している。

 

祖父・道夫さん(当時64歳)は戦後、現在の兵庫県豊岡市城崎町に歯科医院を開業。1985年、東京出張の帰りに日航123便を利用し、命を落とした。

 

歯科医院は河原さんの父、忍さん(64)が継いだ。2人の兄は別の道に進み、中学生の頃には祖父と父の後を継ごうと考え「町の人に慕われる歯医者になりたい」と思っていた。だが、それだけでなく、事故の話を聞いたことをきっかけに、もう一つの目標を持つようになった。忍さんと同じ警察歯科医になることだ。

 

事故後、道夫さんの遺体が見つからない中、忍さんは群馬県に入り、歯科医師として歯型から身元を確認する作業に加わった。蒸し風呂のような暑さの体育館で、自衛隊のヘリから下ろされてくる遺体を検視。上あごだけになった部分遺体を歯ブラシで洗うなどしカルテと照合した。「戦場にいる思いだった」という。

 

忍さんは検視などに協力する「警察歯科医会」を兵庫県でも結成するよう呼びかけ、事故の翌年に設立。阪神大震災などでも身元確認を行った。

 

JR福知山線事故では「息子を返せ」と激高してJR職員に詰め寄る男性に「私も日航機事故で父を亡くしました。今は身元の特定を急ぐことが先です」と優しく語りかけ、落ち着かせるなどした。

 

忍さんは「遺体には身元を確認したい家族がいて、分かれば喜ぶ。それも歯科医師の仕事だ」と河原さんに言って聞かせた。身元不明の遺体が見つかれば医院の仕事後でも検視に向かい、夜も自宅で資料を作る父の姿を見て河原さんは育った。

 

御巣鷹山へは幼い頃、親族総出で登り、大学入学後も兄やいとこと通った。

幼少期は遠足気分だったが、いつの間にか会ったことのない祖父への思いを巡らす時間に変わった。

河原さんは「警察歯科医になるのは運命と感じている。遺族の思いを受け止め、遺体を一刻も早く返せる警察歯科医になりたい」と話す。

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<参考>  

 「日航ジャンボ機墜落事故」。

東京を発った日本航空のジャンボ機が群馬県の御巣鷹山に墜落。

520人もの尊い命が一瞬にして奪われた。

そのなかには、当時の兵庫県歯科医師会・鹿嶋弘会長、前田光俊専務理事、河原道夫・県歯科医師政治連盟理事長の3名も含まれていた。

組織のトップとして活躍していた貴重な人材を突然に亡くしたことは歯科医師会にとって大きな痛手であった。

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