東京保険医協会、東京歯科保険医協会の「医科・歯科 会員1万人達成記念祝賀会」が3月23日、東京・渋谷区代々木のホテルサンルートプラザ新宿で行われた。
はじめに両会長が挨拶、ついて来賓が挨拶、鏡割りが行われ日本酒の升での乾杯となった。
昭和大学アカペラ部の歌で宴会は盛り上がった。
メッセージの紹介についで1万人達成の歴史をスライドで紹介、最後に共同アピールで医療費涼改善運動への強い決意を訴えた。
共同アピール - をダウンロード
歴史を振り返る
医科:東京保険医協会は1962年7月東京保険医医療研究会が23人で発足、1963年の第Ⅰ回総会時には494人となった。
第3回総会で東京保険医協会に改称した。
一方、歯科:東京歯科保険医協会は1973年に設立、初代会長に小林昌平さんを選出した。
の1973年の医科歯科会員の合計は2276名であった。
1977年1月、守田医師がインフルエンザ等の患者の尿の半定量検査の保険請求で減点された。
臨床上重要な尿半定量検査を認めないことは許されないと、1980年1月東京地裁に提訴。
1983年12月に守田医師側の主張を全面的に認め、国保連側に425円の支払いを命じる判決を下した。
(その後1986年2月に高裁で和解判決)
医科・歯科一体で「1日30分運動」「「質の低下はご免運動」「児・産・歯運動」の3つを提起。
1982年歯科保険医協会は大多和彦二会長を選出。自主管理運動を推進した。
1885年医科・歯科で健康テレホンサービス・街頭宣伝を合同で実施。
朝日、毎日、読売などの新聞各紙、NHKなどで大きく報道され、開始5日間で600本の電話があった。
1985年6月糖尿病症例研究談話会がはじまる。
1996年から「糖尿病の保険診療」を第6版まで発行。
1985年「30代、40代の歯科医に未来は」をテーマに第2回歯科保険医学会を開催。
1987年に新規開業医講習会を初めて開催。
1990年医科歯科会員は合計5664名となった。
医科は30周年を迎えた。
老人保健法律の改正案が出され、高齢者の一部負担増が狙われた。
また、診療報酬改定率も鈍化。
保険医療の充実を求めて厚生省交渉や集会、会員一斉署名活動などに総力で取り組んだ。
歯科は1992年NHKga[噛めない、話せない、笑えない・入れ歯の話」を放映。
そtれをうけて全会員に「文字で読む・NHKスペシャル・入れ歯のハナシ」を配布。
1993年「保険で良い入れ歯を」東京連絡会が設立される。
1995年1月阪神淡路大震災後の医療支援に入る。
1996年の補管の導入に「医療側だけの責任に帰することは理屈として無理で成り立たない」と反対声明。
1997年には、厚生省がモデルにしているドイツも医療改革を知るために、ドイツに視察団を派遣。レポートを発表。
2000年医科歯科会員は合計8038名となる。
医科歯科1万人達成を提起。
2006年3月保険業法の改正適用除外の活動。
医科歯科連携ナビゲーションを作成。
2008年後期高齢者医療制度導入に対する反対運動を展開。
2004年10月「歯と健康」フォーラム開催。
2006年4月イギリス・ドイツに歯科医療視察団を派遣。
2010年医科:会長に拝殿清名さんを選出。
歯科:会長に松島良次会長を選出。
医科歯科連携に本格的に取り組む。
山積する歯科医療に対して開業医の立場で「歯科医療改革」を提言。
2011年、東日本大震災で宮城県へ医療支援。
福島第一原発事故については「原発事故と健康」講座を開催し、会員が学べる学習会を設定。
2011年11月25日1万人会員を達成。
2013年3月1日現在、1万161名の会員数となった。
2013年 医科支部会に歯科会員が参加。
医科・歯科会員交流で「歯と健康」フォーラムシンポジウムを協力して開催。
SAS(睡眠時無呼吸症候群)に関する医療連携をスタートさせた。
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