中国歯科医療研究会 国際医療交流へ (上)

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日本アンチエイジング歯科学会の第1回中国歯科医療研究会が9月25日、東京・中央区日本橋の八重洲ホールで開かれた。

松尾通会長が挨拶して、中国歯科医療研究会の主旨について説明した。

韓国などが、新たな産業として推し進めているのが医療観光であるが、松尾会長は、「医療観光はあまりいい言葉ではないと思う。国際医療交流としたい」と述べるとともに、国際医療交流が大きな可能性を有していることを強調した。

松尾会長は各講師を紹介したあと、「我々の歯科診療所へ中国の方がお見えになる可能性も含めて、中国と日本の関係を深める機会になればといいと思う」と挨拶した。

各講師が以下の内容で講演し、Q&Aのあと講師と参加者たちの名刺交換が行われた。

 

<中国の歯科医療と国際交流について>

 田中健一さん(中国歯科医師免許取得)

 

私は日本と中国合弁の北京天衛診療所にいる。

職員数は100名弱で、日本人が7名いる。

内科、小児科、外科、リハビリ、中国医学などがある。

(田中さんは、西アフリカ、ナイジェリア、ガーナー、モロッコなどで医療支援、病院構築などに携わってきた。

また、ブラジルでも奉仕活動をしてきた。治安が悪化するなかで、医療をどのように構築するかに奮闘した経験をもつ。

2002年からは、マレーシア、マニラ、タイでも奉仕活動をしてきた)

日本へ戻ってきて、日本の歯科医療について考えて、何が問題であるのか、と考えた。

 歯科医師国家試験が問題であった。

2年、3年国家試験が受からない。

それが1000人を超えている。

受験者の500人は2度以上国家試験に受かっていない。

そこで、がけっぷちなどというへんなン名前の予備校を作り、国家試験に2度以上受かっていない人を対象に教育をしている。

北京でまったく何もないところから30代半ばになって、中国歯科医師免許取得した縁で、昨年から"がけっぷち歯科医師国家試験予備校"を始めた。

ドイツで研修を受けたとき、ドイツの人が日本を中国と混同していた。

それに近いほど中国が日本を見る目は、日本を分かっていないのが現実だ。

私は中国に10年いるので共産主義なるものを知ったが、共産主義は国家を中心とせず、労働者の大同団結することによって、ブルジョアに対して革命を起こす。

それによって国家が存在しる。

また、いわゆる右翼も存在しない制度であると教えられた。

中国が盛んに愛国運動などと新聞に出ているが、論理的矛盾があるのだ、と中国の先生に教えてもらった。

学生時代から海外へ出ているが、各国は民族、思想、宗教、文化が違う、共通点は歯科を学んでいることであった。

海外へ行くと苦しい、腹も立つ、騙されてもきた。

それなのに未だに海外から抜け出せないのは、会えない人に会え、知らないことを聞くことができる。

日本のなかにいたらできない経験ができる。

それはいい経験も悪い経験もある。

中国政府に拘束されたこともあった。

四川省で地震があったときに、何かできることがあるはずと、日本人第1号として四川省へ入った。

ところが現地で拘束されてしまった。

病院に電話をして、四川省の上層部に電話をしてもらって解放された。

医療支援に来たと分かったら、翌日は4WBの車が用意され、どこへでも行ってくれと言われた。

現在、中国の在留邦人は14,5万人である。

上海に5万人、北京は1万人弱。

我々のいるところは、天安門から車で15分ほど。

繁華街からは3,4キロである。

10年前、我々日本人はどのような医療を行うべきかを考えた。

難しい医療をやるとトラブルとなったら、ほとんど対応ができないだろう、と思った。

初めに、美容はしない、女性の場合、ことらが良かれと思っても、相手が納得しないと、医療とは別世界の問題となりやすい分野だ。

また、難症例もやめよう。

外科もやめよう。

救急対応になったときに、バックの病院がないので何かがあったときには困ってしまう。

利幅の大きな治療も、現地の医療機関とバッティングをするのでやめよう。

重篤な既往歴のある人もやめよう。

つまり、弱腰であった。

そこで、東南アジアの人たちを日本に呼んで治療をするときに、どの枠からはみ出すかである。

つまり、どこを切り崩すかである。

我々は中国では低医療、中継ぎと考えてきた。

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