「保険でよい歯を」東京連絡会  シンポジウム(中)

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「保険でよい歯を」東京連絡会は7月10日、東京・新宿区南元町の東医健保会館ホールで、シンポジウム「東日本大震災の支援活動から学ぶ 今、私たちができること」を開いた。歯科医師、歯科衛生士、歯科技工士のほか一般の人18名を含み50名が参加した。

管理栄養士・手塚文栄さん(健康咀嚼指導士、介護福祉士、たかぎ歯科・茨城県土浦市勤務)

歯科医院に勤めながら摂食嚥下の相談を受けているほか、栄養指導をしている。茨城県も東日本大震災の被災地となっている。職場は断水し、停電ともなった。そうこうするうちに福島県の方たちが、近くに避難生活のためにやってきたので、そこでへ支援に入った。現在、つくばの方も放射能の数値が高くなっている。被災2か月後に、歯科医師、歯科衛生士とともに気仙沼の方へ支派遣ボランティアとして行ってきた。市民ボランティアという感じであり、現地へ着いて何をすべきか、と相談していながらメールをしたところ、TwitterからTwitterへと友だちが連絡して40分で250本以上のメールが届いた。みんなが何かをしなければ、と思っていた。避難所では高齢の方も多いので、何がほしいのかを聞いてみたら、歯ブラシがほしいと言った。そこで、歯科医院の友だちに電話をしたら、あっちこっちに連絡してくれて、直ぐに歯ブラシがたくさん集まり届けられた。「お医者さんはいないのですか?」 

「薬剤師の方は、薬はありませんか?」と聞かれた。 あさってくらいから透析を受けなければいけないという人もいて、足が凄く浮腫で膨らんでいる人を発見したが、大変な状況なのに遠慮をして言わない。医務室へ連れていったが、てんやわんやで、個別の対応がまだできない状態であった。食べ方の相談を受けたり、その方のための食事の献立についてアドバイスをした。この写真は、5人の家族が避難している場所であるが、電気は昨日ついたと言っていたが、水不足のためにトイレにペーパーは、流さないようにしていた。水も食料も足りないが、避難所に取りに行くと、「家が残ってよかったね」言われるので、段々食料をもらいに行きづらくなっていた。ガソリンがない、水もないのもみんな同じなのに、家が残っただけで別に見られてしまう状態であった。私は食支援チームとして、栄養評価と献立について相談を受けた。褥瘡の方も結構いた。停電のために、電動のベットが止まって褥瘡となり、そのままの状態であった。(全身の栄養状態の改善は、褥瘡治療には欠かせない要因であるにもかかわらず、「褥瘡と 栄養」に関する具体的な指標が少ない)また、体重が量れなくとも、ふくらはぎの太さを量ると自分が太ったのか痩せたのかが分かる。それで応じた栄養指導もできる。次の避難所では、行政の栄養士の方の仕事をサポートする形で支援活動をした。食料の確保や炊き出しの栄養管理や自衛隊との打ち合わせを毎朝やっていた。また、全国から支援にきた食支援チームへのコーディネイトもしていた。行政の栄養士は3月から2回しか休みが取れていないと言っており、大変な状況だった。避難所を回り栄養調査もしていた。必要な書類も書かなければならなかった。避難所によって、食料の置かれ方や衛生管理にかなりの差があった。栄養調査では、ビタミンやミネラルが不足していた。高齢者の女性たちはトイレを我慢して、水を十分に補給せず脱水状態になっていた。また、高齢者は軟食が92%であった。100聞は1見にしかずではないが、自分が経験することだ。現地いかないと分からない。また、知識だけでは役に立たないと思った。ことをうまく運ぶためには、信頼関係、人間関係が大切だと思った。私は今回、個人のボランティアと団体のボランティアとして2度支援活動に参加したが、組織の活動は大変なようで、円滑にいく。個人の活動では、支援活動に満足を得たとしても、後への引継ぎができるわけではない。個人だと、白衣を着ていても怪しげで、「何をしに来たの」と見られてしまう。私はたまたま栄養士会のゼッケンをつけていったので、それだけで個人の家に抵抗なく入ることができた。その点、団体の力は大きいと思った。被災をされた方たちは、遠慮をされていて、なかなかニーズを出さない。東北の方の性格なのか分からないが、信頼関係ができ名前を覚えてもらってはじめて話ができることを感じた。食料倉庫ではすでに腐ってしまったものや、病人用の食が一般食のなかに雑ざったりしていた。その点で倉庫の管理のためにも、栄養士がいればいいと思った。

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