2013年9月24日(火)
企業や健康保険組合にとって、歯の疾患対策は大きな課題の1つだ。
歯科医療費は全医療費の1割以上を占めており、歯痛による仕事の能率低下や通院による欠勤といった労働損失も生じる。
企業が従業員の健康の維持・増進を支援することが経営効率の向上につながるという「健康経営」の中で、その解決策として注目されるのが、まだ導入企業が少ない「予防歯科」だ。この取り組みを積極的に進めている日本アイ・ビー・エム(IBM)の事例を紹介する。
2004年に「p-Dental21」という個人向けのプログラムをスタートさせて8年目の2011年、医療費抑制の累積額がそれまでに投じた総コストを約3200万円上回り、損益分岐点を超えた。
今後も"黒字"は増加し続ける見通しだ。
※歯科医療費抑制額の累積値からコストの累積値を控除した額。2012年は見込み(出所:日本IBM健康保険組合)
一方、被保険者1人当たりの歯科医療費は、2004年、2005年は前年より増加した。これは予防プログラムの健診で疾患が発見され、その治療のために受診した社員が増えたためだ。
しかし、その後は減少傾向に転じた。2010年に、歯科予防プログラムを実行していなかったと仮定した場合の金額よりも、年間5000円ほど抑えられている。
事業所で効果を実証し全社に展開
日本IBMでは以前から、社員の福利厚生を図るため、近くに歯科医院がない地方のいくつかの事業所に歯科診療室を設けていた。
虫歯などの治療が中心の歯科だったが、仕事場にあって通院しやすいため、いつも混雑していた。しかし、次第に、利用者が一部の社員に限られることや治療中心の診療に対する疑問が生まれてきたという。
そこで1990年代後半から、歯科診療室で歯周病健診とその後のフォローアップに取り組み始めた。すると、デンタルフロスや歯間ブラシといった、歯と歯の間の汚れを取るための道具を使って歯周病予防に取り組む社員が大幅に増え、歯周病が改善されるとともに、歯科医療費の抑制効果も認められた。
これを受けて、2004年から健保組合が主体となり、全社員を対象に「p-Dental21」プログラムに取り組むことにしたわけだ。ちなみに「p」は、予防を意味する「prevention」の略だ。
2004年は40歳以下の全社員を、2005年は42歳以上の希望する社員を、それぞれ対象にしてプログラムを実施。具体的には、約30分かけて歯科医が口腔を診察し、歯科衛生士が歯周病やそのセルフケアに関する説明・指導を行った。2006年以降は、主に25歳から5歳刻みの年齢になった社員で希望する人を対象に実施。中小規模の事業所では、全年齢の希望者を対象に数年に1回実施している。
今年3月末までにプログラムを受けた社員は約2万2000人。日本IBM健保の歯科医・加藤元氏は、「今の歯科診療スタッフ数だと、1年間にプログラムを実施できるのは、全社員の1割に当たる3000人。現在はその3割が初めて受ける人で、社員の入れ替わりを考えると、効果を上げ易い状況になっている」と話す。
Webで健診後のフォロー
歯科予防プログラムの目的は、歯や歯肉の健康チェックだけではなく、歯周病予防のための行動変容にある。そこで、そのための工夫をいろいろ盛り込んでいる。
例えば、歯科医の診察の際は、CCDカメラを用いて歯や歯肉の状態を受診者に見せる。タバコを吸う社員の場合にはヤニなどで変色していることがわかるし、非喫煙者でも歯が磨けていない部分がわかるので、禁煙や適切な歯磨きを行う動機付けに結びつけやすい。また、位相差顕微鏡を用いて、歯から採取した汚れの中で細菌が動いている様子を示し、歯周病予防に取り組む必要性を認識させたりもする。
予防のためのアドバイスや健診後のフォローも大切だ。
歯科衛生士による指導では、個人個人に合った歯ブラシや歯間ブラシの使い方を教える。
就寝前に歯をきちんと磨く習慣をつけることと、歯と歯の間の汚れをとることが歯周病予防に重要だからだ。
また、健保組合のホームページに「いーでんたるへるす」というコーナーを設け、動画を見ながら歯のブラッシング法を学んだり、歯の健康のセルフチェックができるようにしてある。これには、社員はもちろん、健保組合の加入者であるその家族の啓発と行動変容を図る狙いもある。
なお、歯間ブラシなどの予防道具は、社員が簡単に入手できるよう、社内の売店でも取り扱っている。
様々な機会を捉えて啓発
こうした取り組みの結果、歯周病の予防につながる歯間清掃を実施している社員の割合は、2004年の32%が2012年には42.7%へと増加した。
また、受診者対象の満足度調査の結果では、78.6%が歯科予防プログラムに「大変満足」と回答している。
回答者の約7割は家族や同僚などにプログラムのことを話しており、予防のための取り組みが広がることが期待できる。
満足度調査の自由記入欄には、「口臭の悩みが解決し、自信を持って正面を向いて自分の意見を言えるようになった」など、「口臭」に関する記述が少なくない。任意の参加者の中には、営業マンなど口臭を気にしてプログラムを受診する社員が目立つ。女性社員は年齢による差は見られないが、男性社員は、年齢とともにポストが上がることなどで、口臭を気にする人の割合が増えてくるという。
そもそも歯周病は、歯周病菌が生成する毒素や酵素と体の免疫反応の結果、歯ぐきが破壊されていく病気だが、その際、イオウ化合物が発生し、嫌な匂いがするのだ。最終的には歯科医の鼻で判断することになる。
そこで日本IBM健保では、社員のビジネスマナー教育の機会も利用し、歯科予防の重要性を訴えている。例えば、「ブレスケア—いい息と笑顔をビジネスチャンスに活かす—」と題したセミナーを開催したことがある。
全医療費の抑制を目指す
口臭はビジネス上の問題だけにとどまらない。
加藤氏はある社員の口腔を診察中、独特なにおいがするのに気づいた。そこでその社員に尋ねたところ、糖尿病の持病があるにもかかわらず治療をさぼっていたことがわかったという。
「肥満の人の口腔を診察した際、呼吸音を耳にしたのをきっかけに、睡眠時無呼吸症候群が判明したこともある。歯をきっかけに、全身の健康管理について話ができる」(加藤氏)。
歯科予防活動の目的は、歯周病対策だけにとどまらないというわけだ。
例えば、口を大きく開けられない顎関節症が見つかれば、ストレスの高い状態にあり、歯ぎしりや歯を食いしばるくせがついていると考えられる。こうした場合は、マウスピースで上下の歯が接触するのを防ぐほか、自律神経の働きを整える訓練などのストレスマネジメントも必要になる。
また、歯周病によって歯を失えば、噛み切るのに力が必要な野菜を避けて炭水化物を多く摂るようになり、結果として糖尿病などの生活習慣病につながりかねない。
日本IBM健保では、歯科予防をメンタルヘルスや肥満の対策など、他の疾病の予防とも関連づけて捉えている。
「予防歯科活動の究極の目標は、健保組合が支払う総医療費の抑制にある」と加藤氏は話す。歯がきれいだと自信をもって話ができるようになり、心身の活動全体が活発化する。それにより、アンチエイジングにも一役買ってほしいという。
(井上 俊明)
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