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記事

2018/10/16

医療コミュニケーションを考える -その1-

医療コミュニケーションと接遇コミュニケーションの決定的な違い



最近、医療コミュニケーションと接遇コミュニケーションを同一に考えている歯科医師、歯科衛生士、大学教員が多くなっているように感じます。このまま、この流れが主流となってしまうと歯科界は取り返しのつかないことになり兼ねないと危惧しています。
医療界でコミュニケーション能力の向上が叫ばれ始めたのは、今から30年ほど前のことです。昨年105歳で亡くなられた聖路加病院の日野原重明先生が「患者中心の医療」の重要性を発信され、そのためには患者―医療従事者間の信頼関係を確立しなくてはならず、手段として医療者側のコミュニケーション能力の向上が大切であるというところから始まりました。医療界でのコミュニケーション学の歴史は浅く、1961年Barbara Korschという医者が、小児科医と患者あるいは母親との面接場面を撮影し、これを詳細に分析すると、異質の言葉が飛び交い、お互いが理解せず、会話が成り立っていないことを報告したのが医療コミュニケーションの最初の論文です。この後多くの論文(図1,2)が発表され、経験的知識に基づく一つの学問領域として認められるようになりました。
コミュニケーション学が医師・歯科医師国家試験の出題基準に加わったのは、約20年前のことでした。それまでは「問診」と呼んでいたことが「医療面接」にかわり「傾聴」「共感」「受容」という聞きなれない言葉が出題基準に並びました。突然、国家試験出題基準に加えられたので各大学は大混乱しました。本学でもまったくコミュニケーション学を教えていませんでしたから、慌てて講義枠を組み直し、どういうわけか私が6年生の国家試験対策講義を担当することになってしまいました。歯科の医療面接の本がなかったので医科の成書で勉強し、付け焼刃で講義をした苦い思い出もありました。この思い出を教訓に、歯科における日本で最初の医療面接の本(図3)を出版させてもらったのもこのころです。
さて、話を本題に戻します。医療コミュニケーションとは「医療系施設での患者との言語、非言語でのコミュニケーション」と定義できます。一方、接遇コミュニケーションとは「サービス業(航空会社、ホテル、百貨店等)のお客との言語、非言語でのコミュニケーション」となります。医療コミュニケーションの目的は、患者―医療者間の信頼関係の確立です。信頼関係が確立することにより、治療効果が格段に向上することは良く知られています。また、患者―医療者の関係は長期におよび、場合によっては「命を預け、託される」信頼関係が必要とされるわけです。一方、接遇コミュニケーションの目的は会社の利益のために行っている行為です。つまり顧客をつなぎとめ、次の機会にも利用してもらい、リピーターとして収益をあげることとなります。客は誰も信頼関係をキャビンアテンデントやホテルマンに求めてはいません。利用しているその瞬間だけ気分が良く、親切にされているだけで満足なのです。一生のうちで、もう二度と会わない人なのかもしれません(図4)。
これだけ目的が異なるわけです。医療コミュニケーションの手法が、接遇コミュニケーションのそれと同じであったとするならば、決して患者―医療者間の信頼関係など生まれるはずがありません。つまり、医療者を対象としたコミュニケーションのセミナーや大学での学生や研修医の講義において、キャビンアテンダントやホテルマンを使って教育を実施することは、医療現場を知らない人間のまさしく愚行と言わざるを得ません。医療者が信頼関係を確立するために、お辞儀の角度を気にするよりも、ぺらぺらとお世辞を並べるよりも、ぎこちないお辞儀でも朴訥なしゃべり方でも、なんとか患者に心を開いてもらい、信頼関係を作りたいという気持ちを醸成することの方が重要であり、信頼関係の確立に通じるものと考えます。かたちにこだわるよりも、時間はかかるでしょうがその本質を教育することの重要性にもっと気づくべきでしょう。「かたちさえ作っておけば」といういかにも官僚的な考え方が日本中に蔓延しているように感じます。
医療コミュニケーションの要は「相手(患者)の心に自分の心を沿わせてみて、相手の心情を察し心の機微に触れること」だといわれています。キャビンアテンダントが、相手の心の機微に触れようとするでしょうか。長期間にわたる信頼関係を築きたいと思うでしょうか。私たちは全人的医療を実践しなければなりません。全人的医療とは、「患者の病気」に焦点を合わせるのではなく、患者を「病気を持った人間」としてとらえる視点を言います。患者は全人的苦痛(図5)を持って受診します。単に体が痛いという身体的苦痛だけではなく、体の不調から精神的苦痛、社会的苦痛、霊的苦痛(神も仏もないといって神を恨む自分を苦痛に感ずること)が相互に影響し合って全人的苦痛を作りだすのです。現在の医療コミュニケーション学の教育では重厚な医師・歯科医師は生まれないでしょう。医療の本質を見据えるために人の心を中心に据えたコミュニケーション学を教育しなければ、いずれ私たちが病院で死を迎えるとき、お辞儀の仕方がうまく、愛想だけが良い、心の空虚なとんでもない医者に最期を身取ってもらうことになりかねません。これでは化けて出てきたくなりませんか。
矢島 安朝(やじま・やすとも)
  • 東京歯科大学水道橋病院 病院長

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