第72回:不況は米国の歯科界にどのような影響を及ぼしているか

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サブプライムローンに起因する金融機関の信用収縮から2008年秋にはリーマン・ブラザーズ倒産によるリーマン・ショックが引き起こされ、不況が急激に広がった。それが米国の歯科界にどのような影響を及ぼしているかについて、米国歯科医師会雑誌JADA 2011年12月号に掲載されたDr. Christensenの"歯科は原点へ回帰せざるを得ない"と題するコラムを紹介する。 歴史的にいえば、歯科は医学領域の一部として認識され、そのおもな仕事は歯の痛みをとることであり、1800年代のう蝕あるいは歯周病の歯の痛みの処置はおもに抜歯や義歯であった。その後、Blackなどの先駆者により天然歯列を維持しようという努力がなされ、近代的保存歯科が始まった。歯をアマルガム、純金、金合金、シリケートセメントで修復することが20世紀前半の支配的歯科治療であったが、抜歯および義歯も依然としておもな処置であった。咀嚼機能が最重要であり、審美的考慮は二の次であり、口の中に金属が見えるのは当たり前、それは多くの患者にもかなりよく受け入れられた。審美性を無視した従来の保存修復であったが、近年ではあまりに審美志向となり、しばしば開業医は審美性向上のためにのみ過大な処置を行うようになっている。しかし、大不況は歯科医に歯の痛みの除去と天然歯列の保存という原点に戻るよう影響を与えている。 20世紀半ばは、多くの人により歯科の黄金期とされている。それは次のような理由からである。歯科研究が活発になり、米国歯科医師会が臨床家の指導的団体となり、歯学部及び歯科教育は標準化・改善が図られ、フッ化物利用や歯周病予防治療のような予防策が導入され、多くの若者が矯正治療を受けた。修復歯科の成熟は続き、歯周治療はより一般的となり、頻繁に通院する患者では以前であれば抜歯された歯も維持できるようになった。ポーセレンべニアクラウンが広く使われたが、前歯の直接充填修復用にコンポジットレジンが使用されるようになる1960年くらいまでは審美的考慮は二次的なものであった。しかし、口腔の審美性が歯科医のより大きな関心事となり、患者も急速にそのコンセプトを受け入れたが、多くの臨床家は審美あるいは美容歯科を過剰に行うようになった。米国歯科審美学会および米国歯科美容学会がそれぞれ1975年と1984年に設立され、米国歯科医師会は正式には認めていなかったが、美容歯科医あるいは審美歯科医という名称が電話帳、広告などに見られるようになった。一部の歯科医たちは口腔疾患の予防あるいは治療という歯科本来の使命を外れ、患者の見た目をよくすることに方向転換した。 この転換は著しい過剰処置なのは明らかである。セラミックべニアが若年者に使われ、単純な直接修復でよいのにクラウンが装着され、歯は正常色でもホワイトニングが行われ、わずかな審美的問題点を修正するため高額で必要性が疑わしい外科や矯正治療が行われ、おもに審美的理由によりアマルガムが歯冠色材料で置き換えられた。これらの処置は保守的な歯科医および患者に好ましくない影響を与えている。私見では、多少の例外はあるとしても、歯科医は国民に信頼されてきたと思う。しかし近年は、歯科医が提案する治療に患者が疑問を抱き始め、それまでの歯科医が提案した治療を信用せず、過去にくらべより多くの第二、第三オピニオンを示すよう私に求めるようになっている。審美性を強調した治療計画は、患者にとって本当に必要な治療と必須ではない選択的治療を混同させる。私の見たところ、国民のこの信頼性の低下は、審美歯科の強調のし過ぎ、ある治療に対するすべての選択肢の不提示、インフォームドコンセントの不足と直結していると思う。 不況の歯科への影響 3年ほど前から大不況が始まった。その後の3年間に歯科医と歯科医療従事者に何が起きたかはよく知られている。私の全米での生涯教育コースでの歯科医や歯科器材販売業者の動きやニーズからすると、地理的条件によって多少異なるが、保存主義が一般的傾向である。一部地域では不況をそれほど感じていないが、ほかの地域では歯科医が多く破産という真に不況である。以下に記すような歯科医および国民の変化は、歯科の原点への回帰を強いていることと関連している。 ・ミニマルインターベンション(MI)歯科の増加 予防と保存治療を奨励するような明らかな動きがある。例えば、"リスク評価によるう蝕治療"と呼ばれるモデルの確立(CAMBRA、 Caries management by risk assessment)、MI歯科世界会議のような組織の展開、MIおよび予防処置に関する多くの生涯教育コースの地方および全国的歯科集会での導入。このような動向やそれを歯科医が受け入れたことにより、歯科のすべての領域で大げさな処置は行われないようになっている。MIのコンセプトは、予防的薬剤や材料、シーラントの利用、歯形成時の保存的傾向、歯周外科の代わりに保存的歯周治療、抜歯の代わりに歯内治療、侵襲の少ない小口径インプラントの装着、べニアクラウンの代わりに矯正治療、少ないクラウンの装着と保存的な小さな修復、そして全体としてできるだけ長く天然歯列をもとの状態に保つことを重視ということである。 ・クラウンの減少 クラウンとブリッジは開業歯科医のもっとも大きな仕事となっている。全米技工協会事務局長の話によると(2011年9月)、過去3年間の装着クラウン数は減っており、不況が始まって以来間接修復物数は約3.5%減少、2008年秋以降約2,000の技工所が閉鎖されたという。この情報は悲観的なものに思われるかもしれない。しかし、このデータは、より多くの歯が不必要な修復を受けなかったあるいはより保存的に治療されたと見ることができる。 ・べニアの減少 審美がブームであった時には多くのべニアが装着された。私見では、ささいな審美的要求からべニアを装着した患者では、べニアの代わりに、わずかな矯正治療、簡単な保存的コンポジットレジン修復、あるいはホワイトニングで容易に費用をかけず済ますことができる。全米最大の一技工所の話では不況中べニア装着は12.5%減少したという(2011年9月)。 ・アマルガムをコンポジットレジン(CR)に替えるという依頼の減少 問題のないアマルガム修復物をCR修復物に替えるという選択的治療の話し合いをしても、患者はそうした処置を受けるのに要する可処分所得が減っているため、そうした依頼は減っている。 2011年後半の歯科と患者の状態 私見では、歯科医療関係者は不況のためより保存的方向に進まざるを得ない。数年前であれば歯科医が提案していた包括的で高額な治療に代わり、普通の予防的治療や侵襲の少ない治療が増え、審美性を高める方向の治療は減ると予想される。さらに、多くの患者は余裕がないと考え保存的治療さえ拒否する。こうしたことは良くも悪しくもある。以前おもに審美処置を行ってきた多くの歯科医への影響はかなり大きいが、普通の治療を行ってきた多くの歯科医では不況の影響は少ない。患者については、失業中の患者や必要な治療を先送りしている患者にとっては、将来必要な治療を受ける時にかなりの出費を伴うことになろう。選択的治療を延期している患者は経済が安定すればその治療を受けるだろう。より保存的治療への回帰は、一部では歓迎され、他の多くでは困惑させている。しかし、しばらくの間、ほかに選択の余地はないと思われる。 以上のことは、公的健康保険制度がなく基本的に自由診療の米国のことであり、我が国とはかなり事情が異なると思われるが、我が国の実情はどうなっているであろうか?我が国ではまだ審美歯科の落ち込みが急激に進んでいるようには思われないが、いずれ米国での現状に似たようなことが起きたとしても不思議ではないと思っている。 (2012年1月29日) 追記: Dr. Christensenについて 補綴専門医であるDr.Christensenは、JADAに1991年以来毎月(近年は隔月)おもに歯科器材にかかわる話題を中心に臨床向きのコラムを書き続けている。その内容は的確で示唆に富むものが多いと筆者は感じている。彼は1976年にClinical Research Associates (CRA)を設立し、CRA Newsletters(現在はGJ Christensen Clinicians Report)を発行して世界の臨床家に歯科器材に関する様々な情報を提供し、さらに各地で研修コースを開催して歯科医の生涯教育に活躍している。南カリフォルニア大学、ワシントン大学、デンバー大学でそれぞれDDS、MSD、PhDの学位を取得。現在、ユタ州臨床実習コースのディレクター、CR財団の共同設立者および最高経営責任者(CEO)、ブリガムヤング大学とユタ大学の非常勤教授。
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