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2013/10/24

第51回:ビスフェノールA(BPA)をめぐる最近の動き

1997〜98年、“むし歯の詰め物から環境ホルモンのビスフェノールA(BPA)が口の中に溶け出す”と、テレビ、新聞、各種出版物で繰返し取り上げられ、歯科界はその対応に追われたが、その発端となった論文の内容に疑問が生じたこともあって、間もなく歯科でのBPA問題は沈静化した。ところが最近、歯科とは直接的には無関係であるが、ポリカーボネート製哺乳瓶などのBPAをめぐり、問題が再燃してきたのである。以前のBPA騒動の折、日本歯科理工学会では1998〜2002年に2度にわたりBPAの安全性に係わる調査研究を行い、歯科界に情報提供してきたが、4月18日東京・船堀で開催された第55回学術講演会での公開シンポジウム “2003年から2009年におけるビスフェノールAの生物学的安全性”でその後の状況が報告された。

近年BPAで問題とされているのは、これまでヒトに対する耐容一日摂取量(一生涯毎日摂取しても有害な影響が現れない量)が0.05mg/kg体重/日とされている用量以下の暴露でも、マウスやラットの胎児や子供の神経、行動、乳腺、前立腺などへの影響が認められるという低用量問題である。これについてはまだ決着はついておらず未解決であるという。歯科ではBPAがとくに問題にはなっていないとのことであったが、米国歯科医師会(ADA)は、 “歯科製品にはBPAは添加されていない”という従来の見解を、2008年11月“ごく稀に添加されている”に変更する声明を出したという話があった。

このADA声明に関する詳しい説明がなかったのは残念であったが、筆者の調べによれば、次のことを指しているとみてよいであろう。3M ESPEは、 2008年4月、歯科医療関係者に対し次のような趣旨のレターを公開している。“Conciseコンポジットレジンにごく微量のBPAが添加されている。しかし、極端な使い方をした場合でも安全性に問題はない。ほかの製品にはBPAは添加されていない。”ここに登場するConciseは1970年代初め3M最初の化学重合型コンポジットレジンとして発売されたものであるが、それが今でも販売されているとは筆者には驚きであった。この製品は、我が国では1970年代には輸入販売されていたが、現在は全く販売されていない。しかし、調べてみると、欧米をはじめかなり多くの国で現在も販売されている。

上記シンポジウムに出席してもBPAを巡る最近の状況はよくわからなかったため、少し調べてみた。低用量問題については、低用量の影響があるという報告が大幅に増加している一方、同じような試験を繰り返しても低用量の影響は認められないという試験結果も報告されている。これらの対立する報告を巡って長年論争が行われてきたが、この1、2年はとくに激しい応酬が行われている。低用量の影響ありとするグループは、影響なしとする報告に対して、実験に用いた動物の感受性が低くて不適当である、動物の飼料にも問題がある、陽性対照物質の扱いが適切さを欠いている、などを指摘し、さらに、これまで毒性試験の基準とされているGLP(Good Laboratory Practice、優良試験所基準の略)に準拠した実験のみから結論を出すのは問題があるという主張をしている。

近年のBPA問題の再燃は、米国国家毒性プログラム(NTP)の2008年4月の発表がきっかけになっているように思われる。それはワシントン・ポストやウォール・ストリート・ジャーナルなどで大きく取り上げられ、大きな反響を呼んだ。その要点はおよそ次のようである。1)胎児や乳幼児に対し、脳、行動および前立腺への影響について多少の懸念がある。2)乳腺および女児の思春期早発について懸念はあるがごくわずかである。3)妊娠女性のBPA暴露が胎児や新生児の死亡、先天異常、低体重および成長抑制の原因になることについての懸念はないと考えてよい。4)成人への非職業暴露による生殖影響についての懸念はないと考えてよく、職業上高濃度に暴露される労働者では懸念はあるがごくわずかである。その後の2010年1月、米国食品医薬品局(FDA)は、食品と接触する用途におけるBPAの使用について次のような声明を出した。“これまでの標準的な毒性試験によれば、人が現在暴露されている程度の低いBPA量では安全であるとされている。しかし、微妙な影響を試験する新しい試験法により得られた結果に基づき、胎児、乳幼児の脳、行動、前立腺にBPAが影響する可能性について多少懸念を抱いている”。

Nature2010年4月22日号に“BPAの大規模試験”という記事が載っている。国立環境衛生科学研究所(NIEHS)は、2010、2011年にBPAの研究に3,000万ドル拠出する計画を立て、2009年10月に40名余のBPA研究者を集めて会合を開いた。そこでは、NIEHS主導の下に、最終的な結論が明確に出せるように、研究方法の統一、体制づくりに向けて全研究者の合意形成が図られ、各研究者にかなり強い縛りをかけて研究費が配分されることになった。これまでBPA毒性の試験、研究に長年にわたり多額の税金やBPA関連業界資金が投入されてきたが、いつまでも続く論争にしびれを切らしたNIEHSがこの際いっきの決着をめざした感がある。今回得られる結果に基づき、これまでGLP準拠で行われてきた化学物質の毒性試験が大幅に変更される可能性が考えられる。

一方、今後の研究の進展を待つことなく、そうした可能性が現実のものとなる方向に進みつつあることがこの同じNatureの1103頁に載っている。1976年の毒性物質規制法を見直す法案が4月に議会に提出されたというのである。さらに、今後改正が進むと、2007年6月欧州連合において制度化されたREACHと呼ばれる、化学物質の新規制と整合させる可能性についても言及されている。REACHは、 Registration(登録)、Evaluation(評価)、Authorization(認可) and Restriction(制限) of Chemicalsの略であるが、人の健康と環境の保護を目的とし、化学物質に関する規制としては世界でもっとも厳しいものとなっている。

我が国の動きについても少し触れておこう。厚生労働省は、2008年7月内閣府食品安全委員会にBPAの健康影響評価を諮問し、結果待ちの状態にある。一方環境省は、胎児期から小児期にかけての化学物質(BPAも含む)曝露をはじめとする環境因子が、妊娠・生殖、先天奇形、精神神経発達、免疫・アレルギー、代謝・内分泌系等に与える影響を調べるため、今年度から10万人の妊婦に協力を求め、“子どもの健康と環境に関する全国調査”(愛称:エコチル調査、Eco&Child)を始めることになった。この調査では、臍帯血、母乳、血液などを採取してさまざまな化学物質の分析を行い、子どもについては胎児期から13歳まで追跡してその健康状態を半年ごとに調べ、 2025年度に中間報告をまとめるという計画になっている。

終わりに、両グループの論争を読んでのコメントを一言記しておきたい。2009年に低用量影響重視グループは36名の連名で長文の論評を発表しているが、その中で、エストロゲン作用を示すイソフラボンを含む市販の飼料で動物を飼育したことがBPAの低用量での影響が出るのを妨害した可能性があると指摘している。これを逆説的に解釈すると、イソフラボンを含む大豆などを摂取すると低用量BPAの影響を回避し得る可能性があることになろう。もし、これが本当だとすると、不安を煽るだけではなく、前向きの対策、予防指針も示してほしいのである。

(2010年4月26日)

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