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2013/10/24

第50回:総義歯の将来

3月初め、亜鉛を含む入れ歯安定剤をメーカーが自主回収するというニュースが流れた。それによると、同製品を長年にわたり過剰に使用すると、溶け出す亜鉛による貧血や神経症状を引き起こすことが最近の文献で報告され、さらに、昨年以降、国内の利用者から「手先がしびれる」などの相談が3件寄せられたという。そこで、 健康被害への潜在的なリスクを最小化することを最優先に考え、予防的にこの措置をとることにしたという(なお、亜鉛入りでない製品はこの措置の対象外で販売継続)。この措置の根拠となったと思われるNeurologyの2008年8月号に掲載された論文をみると、1日20g以上という多量の亜鉛入り義歯安定剤を長年にわたり使用した4症例が報告されている。

我が国での義歯安定剤の使用状況は、最新の2007年薬事工業生産動態統計によると、1,370万個、63億円の出荷となっている(なお、これ以前の数年間も大体同じような数字となっており、横ばい状態にある)。この金額は、治療で使う、各種のレジン系義歯床用材料の合計額の3倍以上、インプラントの半分程度に相当し、予想外に多く使用されている。こうした状況は今後も続くのであろうか?それは、今後の総義歯治療のありようともかかわっているように思われるが、たまたま「口腔リハビリテーションにおける総義歯の将来」という興味深いレビューがJournal of Oral Rehabilitation 37巻143-156頁(2010)に掲載されていたので少し紹介する。総義歯の今後をひとことでいえば、ハイテクのインプラント支台のオーバーデンチャーが標準的治療になる一方で、従来の考え方からすれば必ずしも理想的とはいえない、“appropriate technology”(適正技術、おかれた条件に合った技術)によるローテクの総義歯治療を考える必要があるという。

インプラント支台のオーバーデンチャーは、下顎での2本インプラントが標準的にかなり行われ、成功率も高く、患者の満足度も高いとされている。このインプラント義歯は総義歯の2〜3倍の費用がかかるため、多くの患者にとっては初期費用の高さが問題とされる。スイスでの総義歯とインプラント義歯の費用対効果分析によると、10年をめどにした時、インプラント義歯が費用効果的であるという。また、カナダでの高齢の無歯額者を対象にした調査によると、46%の人が現在の総義歯にかかる費用の3倍払ってもインプラント義歯にしてもよいという。このようなインプラント支台のオーバーデンチャーであるが、オランダやスウェーデンの健康保険ではこの義歯の費用は払い戻しが受けられ、また最近ベルギーも下顎2本のインプラント費用を負担することにしたという。このように、先進国の一部ではインプラント義歯が健康保険に組み込まれつつあるが、我が国ではどうなるであろうか?1本と2本のインプラントについて無作為化比較臨床試験した最近の報告によると、両者とも同様の患者満足度が得られているという。このことが十分に立証されれば、下顎難症例にはとりあえず1本インプラント義歯の保険適用が考慮されてもよいのではないかと思われる。

次に、総義歯のもう一つの今後である。先進諸国では無歯顎者数は減少しているが、世界的に見ると減少はしておらず、また、その無歯顎者の大多数は人口の最貧層に属しているため、インプラント治療を受けることはありえず、総義歯さえ装着できない状態にあり、今後40〜50年は総義歯の必要性がなくなることはないであろうという。今後は、臨床成績を上げるのに必ずしも必要のない総義歯作製プロセスでのステップを省いた、最低限の標準的な治療、すなわち、“適正技術”による総義歯治療が必要となっているという。この考え方には、いちおうそれなりの説明がある。総義歯での満足度を調べたところ、65〜90%が満足しているという報告がある一方、歯科医の評価する義歯の質と患者の満足度の間にはあまり関係がないという。より複雑な製作技術がよりよい臨床成績をもたらすというエビデンスはなく、材料や技術を変えても最終的な臨床成績にはほとんど影響を与えず、また、義歯をサポートする組織の質と総義歯治療成績との間にも強い相関はないことも示されているともいう。このように、歯科医の労多くして報われないようなことが記されているのにはショックを受けたが、筆者も思い当たる節がないでもない。歯科医が”これはよく合う入れ歯だから“と新しい義歯を強く勧めても、患者は必ずしも適合のよくない旧義歯を好んで使っていた。

“適正技術”が必要な背景には別の要素もある。多くの国の歯学部では、ますます過密になる学部カリキュラムの中で、総義歯補綴について十分修得することが困難なっていることから、容認できる最低限のプロトコル(minimum acceptable protocol)に基づきつつ、患者の満足も得られるような総義歯治療のコンセプトを導入すべき時期になっているとしている。2009年の国際補綴学会では、3回通院での総義歯治療の議論も行われたという。

以上のレビューの内容は海外のことであり、国内の総義歯を巡る教育、診療、患者の実態について筆者は全くの不案内であるが、総義歯全体にかかわることを少しだけ付け加えておこう。2005年に行われた歯科疾患実態調査と国勢調査をもとに、総義歯がどの程度装着されているかを推定してみた。歯科疾患実態調査での50歳以上(この年齢以下では無歯顎者はゼロとなっている)対象者数は2,645人、そのうち無歯顎者296人(無歯顎者率11%)、総義歯総数861個となっており、これをもとに大雑把に推定すると、国全体では次のようになる。50歳以上人口は5,327万人であることから(国勢調査)、無歯顎者600万人、総義歯数1,700万個と推定される。この総義歯1,700万個のうち、無歯顎者全員が両顎に、残りは片顎に装着されていたと仮定すると、総義歯装着者数は1,100万人と推定される。このうち、65〜90%の患者が総義歯に満足という海外でのデータを適用すると、総義歯に何らかの不満のある人は110〜385万人と推定され、この一部が義歯安定剤の利用者と考えられる。

本来的には、義歯安定剤の世話にならないのが望ましいのであるが、残念ながらそうはなっていない。その義歯安定剤も決して使いやすいわけではなく、やむを得ず利用しているのが現状である。将来の再生医療研究もいいのであるが、現に目の前で難渋している総義歯患者にもう少し目を向けるべきではないだろうか。そこで重要なのは、これまでほとんど革新が進んでいない義歯床用材料の研究・開発である。今後の”適正技術“の総義歯治療に適合するような、新しい材料の開発努力を期待したい。

(2010年3月26日)

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