▶新規会員登録

記事

2013/10/24

第33回:義歯と義歯安定剤

10月のある新聞の読者投稿欄に「入れ歯 容易ではない」と題する、84歳の女性の文章が載っていた。入れ歯ができてから40日、8回の調整でやっとピタリと合って痛くなく噛めるようになり、先生を信頼して納得いくまで通ってよかったと思う一方、入れ歯とは容易ではないと痛感したという内容である。そこには筆者もこれまで耳にしたことのあるような話も記されていた。入れ歯をつくったものの痛さが我慢できずにはずし、翌日歯医者に行くと若い歯科衛生士に「入れ歯とはそういうものです」といわれてびっくり。入れ歯の先輩たちによると、すぐにピタリと合うなんてことない、20年経ってもまだ痛くて食べる時ははずしている、歯医者を何度かえてもダメ、今まで数多くの入れ歯をつくっては捨てた、などである。この投稿を読んで、1992年1月放送のNHKスペシャル「噛めない 話せない 笑えない 入れ歯のハナシ」を思い出した。この番組は社会的にも大きな反響を呼び、当時国会でも取り上げられたのであるが、その後も相変わらず高齢者の入れ歯の苦労が続いているのは間違いない。

綿密に設計・作製された義歯でも、初めは完全な適合を得ることは原理的に難しく、また、顎堤の経年的変化による不適合により、当って痛い、外れやすい、食べ物がはさまる、などのことが起きるのは避けられないであろう。そうした場合、歯科医を訪れればよいのであるが、なかなかそうはならないのが実情である。合わなくても痛くても我慢して使う、食事の時は外す、食べられるものだけ食べるなどしている人も多く、それでも何とかしたいと思う人は義歯安定剤を使用しているようである。

これまで我が国歯科界では、義歯安定剤により咬合高径、咬合位が変わり、そのため顎堤が大きなダメージを受けることを懸念し、義歯安定剤は否定的に扱われてきたように思われる。しかし、現実には多くの患者が利用していることは統計的にも明らかであり、歯科界ももう少し肯定的に関与したほうがよいのではないかという気がする。米国の歯科医は適合のよい義歯の安定感をさらに高めるために義歯安定剤の使用を薦めている、とも聞いている。急速に進む高齢化社会において、通院の困難な患者や在宅診療も受けにくい患者がさらに増加するであろうことを考えると、義歯安定剤についての啓蒙と適切な使用法を指導することも歯科医に望まれる時期になっているように思われる。歯科学界では義歯安定剤が研究テーマとして取り上げられるようになってきており、今年の日本歯科理工学会でも義歯安定剤に関する研究発表が行われている。

義歯安定剤(または義歯床安定用糊材)はどの程度使われているのだろうか?薬事工業生産動態統計年報によれば、最近の3年間(2004〜2006年、最新のデータは2006年までしかない)における義歯安定剤の平均の出荷金額は66億円/年であり、歯科材料全体の平均金額1,079億円の約6%に相当している。これは、インプラントの115億円には及ばないものの、床用アクリルレジン、弾性裏装材、床補修用レジンなどレジン系義歯床用材料の合計額20億円よりはるかに大きく、充填用コンポジットレジンおよびその接着材の合計額の58億円、合着・接着用材料の66億円、印象材の59億円に匹敵している。これほど多く使用されているとは全く予想外のことであった。さらに、意外であったのは、義歯安定剤の輸入の多さである。輸入額は国内生産額にくらべ、 3年間で4.2倍から2.3倍に低下してきているとはいえ、やはり多い。このように輸入額のほうが多い例は、5億円以上の物品では歯科用手袋のみ、インプラントでもこれほどの差はなく、2006年では国内生産額のほうがやや上まわっている。

義歯安定剤には、ガム状・密着型のクッションタイプと、のり状・粘着型のクリ−ム、シート(テープ)、粉末、ジェルの各タイプがある。密着型では非水溶性高分子で粘膜と義歯の隙間を埋め、粘着型では水溶性高分子が口腔内水分により膨潤して粘着する。口腔内での有効期間は、クッションタイプ2〜3日あるいは4〜5日、粘着型のものはすべて1日が限度である。クッションタイプは、ポリ酢酸ビニルを基材として水、エタノールでペースト状にしたもの。クリームタイプは、メトキシエチレン無水マレイン酸共重合体塩、カルボキシメチルセルロース(CMC)、ポリエチレングリコール(PEG)などにワセリン、流動パラフィン、その他を加えたペースト状のもの。シートタイプは、CMC、PEG、アルギン酸ナトリウムなどをシート状にしたもの。粉末タイプは、CMC、PEG、カラヤガムなどの粉末。ジェルタイプは、メトキシエチレン無水マレイン酸共重合体塩、CMC、エタノール、水からなるジェル状のもの。

市販の義歯安定剤は、粘膜および義歯への粘着性、流動性、使用の簡便さ、清掃性、刺激性、不快感、味覚への影響、食物の停滞などの点で違いはあるが、使用者が満足できるものは少ないようである。シェアが最も大きいクリームタイプでは、口の中がべたつき、粘膜に残りやすく清掃しにくいとされるが、これはワセリンなど油性成分が影響している。そこで、油性成分の代わりに水性成分を配合して改良したものがジェルタイプである。クッションタイプでは、粘膜に残らないものの粘着性がやや劣り、義歯から除去しにくいという。

義歯安定剤は改良すべき点がかなり残されていると思われるのに、長年にわたりあまり改良されぬまま放置されてきた感がある。1年ほど前に新発売されたジェルタイプのものは、成分的には新しさはないが、久々の国産の新製品といってよかろう。さきに義歯安定剤の輸入の多さについて触れたが、これには我が国歯科界の義歯安定剤に対する無関心が反映されているように思われてならない。義歯安定剤だけでなく、改良すべき点のある軟質裏装材についても研究・開発を進め、義歯を装着する高齢者が「噛む、話す、笑う」のを少しでも手助けしてやりたいものである。

最後に冒頭の話に戻るが、なぜ「入れ歯は 容易ではない」か、このことについて先ず初めに患者に十分よく説明し、納得を得ることが非常に大切だと思う。

(2008年10月26日)

付記:
次のURLに市販の義歯安定剤についてかなり詳しくまとめられている http://www.wada.or.jp/mente/antei.htm

記事一覧
プロフィール 第122回:清涼飲料の酸蝕性と酸蝕症(2016/08/01)第121回:セラミックインレー/アンレーの寿命(2016/07/12)第120回:最近のう蝕治療の考え方(2016/06/03)第119回:患者の望む歯科医療(2016/05/10)第118回:根管治療に関する記事へのコメント(2016/03/31)第117回:レジン修復と二次う蝕(2016/03/01)第116回:歯科インプラントは万能かそれとも歯の保存に努力すべきか(2016/02/01)第115回:ハイブリッドレジン、ジルコニアの接着(2015/12/16)第114回:ハイブリッドレジン製CAD/CAM冠の脱離(2015/11/10)第113回:歯周病にまつわる最近の論文から(2015/10/08)第112回:光線力学的治療(Photodynamic therapy, PDT)の医療における利用(2015/09/01)第111回:慢性歯周炎治療におけるスケーリング・ルートプレーニングと補助療法の効果(2015/08/03)第110回:破折歯の診断と処置(2015/06/29)第109回:グラスファイバーポストを利用した支台築造(2015/05/18)第108回:バルクフィルレジンについて考える(2015/04/07)第107回:う蝕乳臼歯の治療の見直し(2015/03/03)第106回:臼歯のコンポジットレジン修復物の寿命(2015/01/19)第105回:CAD/CAMの保険導入と今後(2014/12/02)第104回:非う蝕性歯頸部欠損の修復(2014/10/27)第103回:MTAをめぐる動き(2014/09/18)第102回:EPAとDHA神話の行方(2014/08/12)第101回:深在性う蝕の治療―銅セメントはよみがえるか?(2014/07/22)第100回:歯科における接着―その源流(2014/06/11)第99回:インプラントの不具合と医療機関の対応(2014/05/02)第98回:歯科のかかわりが疑われる医原性疾患(2014/04/09)第97回:ノンクラスプデンチャーについて考える(2014/03/07)第96回:知覚過敏抑制材料(2014/02/10)第95回:根管治療の新しい試み(2014/01/06)第94回:根尖性歯周炎の全身への影響と治療(2013/12/03)第93回:歯の保存かインプラントか(2013/11/14)第92回:歯耗(Tooth Wear)の発生状況とそのリスク因子(2013/10/24)第91回:予防指向の歯科医療(2013/10/24)第90回:初期う蝕の革命的処置法(2013/10/24)第89回:う蝕治療の再考を!(2013/10/24)第88回:国民の医療・保健への歯科界の貢献に期待する(2013/10/24)第87回:修復物のリペア(2013/10/24)第86回:英国版歯科疾患実態調査と歯周診査のありかた(2013/10/24)第85回:早急に"代用合金"から脱皮を!(2013/10/24)第84回:根管治療歯は時限爆弾?(2013/10/24)第83回:歯質接着システムは進化している?(2013/10/24)第82回:生活歯髄治療の成績(2013/10/24)第81回:薬事工業生産動態調査から見た歯科材料の動き(2013/10/24)第80回:平成23年歯科疾患実態調査について(2013/10/24)第79回:深在性う蝕の治療―窩底軟化象牙質をどうするか(2013/10/24)第78回:根管治療成績について考える(2013/10/24)第77回:歯みがき後のうがい ―フッ化物配合歯磨剤のう蝕予防効果を高めるには―(2013/10/24)第76回:成人のう蝕予防(2013/10/24)第75回:メタルボンドか、オールセラミッククラウンか(2013/10/24)第74回:糖尿病対策と歯科への期待(2013/10/24)第73回:インプラント義歯の保険導入(2013/10/24)第72回:不況は米国の歯科界にどのような影響を及ぼしているか(2013/10/24)第71回:う蝕乳臼歯処置の新たな選択肢(2013/10/24)第70回:根管治療の見直しと新しい試みを!(2013/10/24)第69回:垂直歯根破折の処置(2013/10/24)第68回:コンポジットレジンのリペア(2013/10/24)第67回:Siloraneモノマーをベースとする画期的コンポジットレジン(2013/10/24)第66回:歯科金属アレルギーと慢性疲労症候群(2013/10/24)第65回:根管の化学的清掃(2013/10/24)第64回:インプラントをめぐるせめぎあい(2013/10/24)第63回:メタボリックシンドロームと歯周病(2013/10/24)第62回:東日本大震災によせて(2013/10/24)第61回:象牙質知覚過敏の治療(2013/10/24)第60回:支台築造をめぐって(2013/10/24)第59回:短縮歯列(2013/10/24)第58回:インプラント歯科の教育をどうするか(2013/10/24)第57回:くさび状欠損の原因は歯のくいしばり?(2013/10/24)第56回:英国における最近の欠損補綴治療(2013/10/24)第55回:う蝕治療にどう対応するか?(2013/10/24)第54回:根管充填をめぐる話―日本歯内療法学会から(2013/10/24)第53回:う蝕が減るとどうなる?(2013/10/24)第52回:接着性レジンシーラーの前途はどうなる?(2013/10/24)第51回:ビスフェノールA(BPA)をめぐる最近の動き(2013/10/24)第50回:総義歯の将来(2013/10/24)第49回:インプラントブームについて考える(2013/10/24)第48回:ミニマルインターベンションに基づく修復(2013/10/24)第47回:金パラ(2013/10/24)第46回:東京デンタルショー2009(2013/10/24)第45回:歯と全身の病気の関係(2013/10/24)第44回:増原英一先生のご逝去を悼んで(2013/10/24)第43回:歯耗 -Tooth Wearー(2013/10/24)第42回:ジルコニアはフッ酸でエッチングできる?(2013/10/24)第41回:ポリフェノールと歯科における効用(2013/10/24)第40回:修復物からのフッ素放出の効果(2013/10/24)第39回:インパクトファクター(2013/10/24)第38回:英国の歯科治療(2013/10/24)第37回:ホルムクレゾールをめぐる論争(2013/10/24)第36回:ファイバーポストについて(2013/10/24)第35回:セルフエッチングシステムについて考える(2013/10/24)第34回:日本デンタルショー2008から(2013/10/24)第33回:義歯と義歯安定剤(2013/10/24)第32回:歯頸部欠損の修復(2013/10/24)第31回:セルフアドヒーシブ・ルーティングセメント(2013/10/24)第30回:接着ブリッジ(2013/10/24)第29回:日本歯科保存学会春季学術大会講演抄録集を見て(2013/10/24)第28回:日本歯科理工学会学術講演会から(2013/10/24)第27回:根管治療結果の大規模調査(2013/10/24)第26回:光重合について考える(2013/10/24)第25回:インプラントの普及とブリッジ(2013/10/24)第24回:アマルガムは何で代替されたか(2013/10/24)第23回:歯科におけるミニマル・インターベンション(2013/10/24)第22回:日本歯科保存学会講演抄録集を見て(2013/10/24)第21回:アマルガムはどうなっているか(2013/10/24)第20回:歯を失う原因(2013/10/24)第19回:5月の学会学術講演会の講演集から(2013/10/24)第18回:レジンの硬化や接着に好ましくない影響を及ぼすもの(2013/10/24)第17回:日本歯科保存学会に出席して(2013/10/24)第16回:むし歯予防週間によせて(2013/10/24)第15回:水酸化カルシウムとFC(続)(2013/10/24)第14回:水酸化カルシウムとFC(2013/10/24)第13回「納豆でダイエット」と食育(2013/10/24)第12回:デュアルキュア(2013/10/24)第11回:改正薬事法と歯科器材(2013/10/24)第10回:歯のホワイトニング(2013/10/24)第9回:最近のコンポジットレジン(2013/10/24)第8回:ファイバーポスト(2013/10/24)第7回:HEMAのはなし(2013/10/24)第6回:根管治療かインプラントか(2013/10/24)第5回:MT教授の特別講演(2013/10/24)第4回:金属アレルギーと歯科治療(2013/10/24)第3回:接着歯内療法(2013/10/24)第2回:合着と接着(2013/10/24)第1回:歯科における接着の話(2013/10/24)

新着ピックアップ


第112回歯科医師国家試験の総評と今後の展望

難易度高過ぎ!?現役歯科医師らが歯科医師国家試験に物申す

ガムを噛んで唾液を出すだけ!唾液検査用ガム

医療広告ガイドライン対策