第33回:義歯と義歯安定剤

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10月のある新聞の読者投稿欄に「入れ歯 容易ではない」と題する、84歳の女性の文章が載っていた。入れ歯ができてから40日、8回の調整でやっとピタリと合って痛くなく噛めるようになり、先生を信頼して納得いくまで通ってよかったと思う一方、入れ歯とは容易ではないと痛感したという内容である。そこには筆者もこれまで耳にしたことのあるような話も記されていた。入れ歯をつくったものの痛さが我慢できずにはずし、翌日歯医者に行くと若い歯科衛生士に「入れ歯とはそういうものです」といわれてびっくり。入れ歯の先輩たちによると、すぐにピタリと合うなんてことない、20年経ってもまだ痛くて食べる時ははずしている、歯医者を何度かえてもダメ、今まで数多くの入れ歯をつくっては捨てた、などである。この投稿を読んで、1992年1月放送のNHKスペシャル「噛めない 話せない 笑えない 入れ歯のハナシ」を思い出した。この番組は社会的にも大きな反響を呼び、当時国会でも取り上げられたのであるが、その後も相変わらず高齢者の入れ歯の苦労が続いているのは間違いない。 綿密に設計・作製された義歯でも、初めは完全な適合を得ることは原理的に難しく、また、顎堤の経年的変化による不適合により、当って痛い、外れやすい、食べ物がはさまる、などのことが起きるのは避けられないであろう。そうした場合、歯科医を訪れればよいのであるが、なかなかそうはならないのが実情である。合わなくても痛くても我慢して使う、食事の時は外す、食べられるものだけ食べるなどしている人も多く、それでも何とかしたいと思う人は義歯安定剤を使用しているようである。 これまで我が国歯科界では、義歯安定剤により咬合高径、咬合位が変わり、そのため顎堤が大きなダメージを受けることを懸念し、義歯安定剤は否定的に扱われてきたように思われる。しかし、現実には多くの患者が利用していることは統計的にも明らかであり、歯科界ももう少し肯定的に関与したほうがよいのではないかという気がする。米国の歯科医は適合のよい義歯の安定感をさらに高めるために義歯安定剤の使用を薦めている、とも聞いている。急速に進む高齢化社会において、通院の困難な患者や在宅診療も受けにくい患者がさらに増加するであろうことを考えると、義歯安定剤についての啓蒙と適切な使用法を指導することも歯科医に望まれる時期になっているように思われる。歯科学界では義歯安定剤が研究テーマとして取り上げられるようになってきており、今年の日本歯科理工学会でも義歯安定剤に関する研究発表が行われている。 義歯安定剤(または義歯床安定用糊材)はどの程度使われているのだろうか?薬事工業生産動態統計年報によれば、最近の3年間(2004〜2006年、最新のデータは2006年までしかない)における義歯安定剤の平均の出荷金額は66億円/年であり、歯科材料全体の平均金額1,079億円の約6%に相当している。これは、インプラントの115億円には及ばないものの、床用アクリルレジン、弾性裏装材、床補修用レジンなどレジン系義歯床用材料の合計額20億円よりはるかに大きく、充填用コンポジットレジンおよびその接着材の合計額の58億円、合着・接着用材料の66億円、印象材の59億円に匹敵している。これほど多く使用されているとは全く予想外のことであった。さらに、意外であったのは、義歯安定剤の輸入の多さである。輸入額は国内生産額にくらべ、 3年間で4.2倍から2.3倍に低下してきているとはいえ、やはり多い。このように輸入額のほうが多い例は、5億円以上の物品では歯科用手袋のみ、インプラントでもこれほどの差はなく、2006年では国内生産額のほうがやや上まわっている。 義歯安定剤には、ガム状・密着型のクッションタイプと、のり状・粘着型のクリ−ム、シート(テープ)、粉末、ジェルの各タイプがある。密着型では非水溶性高分子で粘膜と義歯の隙間を埋め、粘着型では水溶性高分子が口腔内水分により膨潤して粘着する。口腔内での有効期間は、クッションタイプ2〜3日あるいは4〜5日、粘着型のものはすべて1日が限度である。クッションタイプは、ポリ酢酸ビニルを基材として水、エタノールでペースト状にしたもの。クリームタイプは、メトキシエチレン無水マレイン酸共重合体塩、カルボキシメチルセルロース(CMC)、ポリエチレングリコール(PEG)などにワセリン、流動パラフィン、その他を加えたペースト状のもの。シートタイプは、CMC、PEG、アルギン酸ナトリウムなどをシート状にしたもの。粉末タイプは、CMC、PEG、カラヤガムなどの粉末。ジェルタイプは、メトキシエチレン無水マレイン酸共重合体塩、CMC、エタノール、水からなるジェル状のもの。 市販の義歯安定剤は、粘膜および義歯への粘着性、流動性、使用の簡便さ、清掃性、刺激性、不快感、味覚への影響、食物の停滞などの点で違いはあるが、使用者が満足できるものは少ないようである。シェアが最も大きいクリームタイプでは、口の中がべたつき、粘膜に残りやすく清掃しにくいとされるが、これはワセリンなど油性成分が影響している。そこで、油性成分の代わりに水性成分を配合して改良したものがジェルタイプである。クッションタイプでは、粘膜に残らないものの粘着性がやや劣り、義歯から除去しにくいという。 義歯安定剤は改良すべき点がかなり残されていると思われるのに、長年にわたりあまり改良されぬまま放置されてきた感がある。1年ほど前に新発売されたジェルタイプのものは、成分的には新しさはないが、久々の国産の新製品といってよかろう。さきに義歯安定剤の輸入の多さについて触れたが、これには我が国歯科界の義歯安定剤に対する無関心が反映されているように思われてならない。義歯安定剤だけでなく、改良すべき点のある軟質裏装材についても研究・開発を進め、義歯を装着する高齢者が「噛む、話す、笑う」のを少しでも手助けしてやりたいものである。 最後に冒頭の話に戻るが、なぜ「入れ歯は 容易ではない」か、このことについて先ず初めに患者に十分よく説明し、納得を得ることが非常に大切だと思う。 (2008年10月26日) 付記: 次のURLに市販の義歯安定剤についてかなり詳しくまとめられている http://www.wada.or.jp/mente/antei.htm
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